20241020 彗星は見つからず
やる気が出ない1日であった。やる気などというものは存在しない、やる気とはやって初めて出るものだ、といった議論がある。まったくそのとおりなのは実感のとおりなのだが、それは、やることが定まっているときに限って有効なのであって、やることが定まらないときには、何かしらやれることをやってみるしかないのだろうか?
日の入り後、西南西の空に彗星を探したが見つからなかった。しかし夜空を見上げ、「火星が出てゐる」の一節が脳裏に浮かんだ。
やることが定まらないのは、「予約された結果」を思っているからで、「正しい原因」なるものを生きていないのだろうなぁ……。
「浄い」の語を見て、シェーンベルク「浄められた夜」を聴きたくなる。若かった頃は、こういう夜には「浄められた夜」を聴いたものだ。