20241020 彗星は見つからず

やる気が出ない1日であった。やる気などというものは存在しない、やる気とはやって初めて出るものだ、といった議論がある。まったくそのとおりなのは実感のとおりなのだが、それは、やることが定まっているときに限って有効なのであって、やることが定まらないときには、何かしらやれることをやってみるしかないのだろうか?

日の入り後、西南西の空に彗星を探したが見つからなかった。しかし夜空を見上げ、「火星が出てゐる」の一節が脳裏に浮かんだ。

要するにどうすればいいか、といふ問は、
折角たどつた思索の道を初にかへす。
要するにどうでもいいのか。
否、否、無限大に否。
待つがいい、さうして第一の力を以て、
そんな問に急ぐお前の弱さを滅ぼすがいい。
予約された結果を思ふのは卑しい。
正しい原因に生きること、
それのみが浄い。
お前の心を更にゆすぶり返す為には、
もう一度頭を高くあげて、
この寝静まつた暗い駒込台の真上に光る
あの大きな、まつかな星を見るがいい。

火星が出てゐる。

『高村光太郎詩集

やることが定まらないのは、「予約された結果」を思っているからで、「正しい原因」なるものを生きていないのだろうなぁ……。

「浄い」の語を見て、シェーンベルク「浄められた夜」を聴きたくなる。若かった頃は、こういう夜には「浄められた夜」を聴いたものだ。

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