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よく歌っている

最近、よく歌っているような気がする。

どういうわけか、家で口から歌が飛び出している。

こういうときは、決まって何かフラストレーションが溜まっている。

思い当たることはいくつかある。例えば、行きたいところに行きたいときに行けない、とか。あるいは、そんな生活に慣れてしまったが故に、外出することが少し億劫になり始めている自分にげんなりしている、とか。なんとなくどこか息が詰まる気がしている、とか。はたまた、思考の上で壁にぶち当たっている、とか。とかく書き出すときりがない。思い当たる節がありすぎる。

最初は小さなつまずきでも、積み重なれば立派なフラストレーションになってしまうものだ。

実際に5月は頑張ったと、自分でも思う。頑張りって色々あると思うけれど、今月は少しのがむしゃらと淡々とやることを継続して、じりじりと前進していく感じの頑張りだった。そしてこういう昨日と今日を比べても変化がさしてないけれど、進んでいると信じて日々を過ごすタイプの頑張りが、少し苦手だったりもする。本当に目的地に辿り着くのか、途中不安でしかないからだ。これまでは、その不安にやられて途中ぽっきりと心が折れてしまっていた。けれど今月は、ちゃんと信じて進めた。進んでいると信じて今日もこれとあれをやろう。そう自分を鼓舞することができた。それって自分の中では大きなことで、自分で言うのもなんだけれど、でもやっぱり頑張ったなって思ってしまう。だからここは素直に自分の頑張りを認めようと思う。

ま、そんな戦いが静かに自分の中で行われていた5月。そりゃ、歌も歌いたくなるわよね、とも思う。家で一人、何かをするときはだいたい歌っていた。ご近所迷惑でないことを祈りながら。

最初にフラストレーションが溜まっていると書いたけれど、その一方で、自分は声に出さずにはいられない生き物なんだなとも思う。歌ったり朗読したり、家で趣味としてやっていることって、自分の中から何かが溢れ出してしまって、その余剰部分なような気がする。何かが漏れ出る、みたいな。その持て余した部分の表現方法が、たまたま歌だったり朗読だったり声を出すことだったのかなって。だから、自分は声を出さずにはいられないのかもなぁ、なんて思ったりする。

本当はもっと自由に歌いたいのだけれど、そこはお家だからしょうがない。もっと欲を言えば、最近楽器にも触りたくてうずうずしている。昔は部活でお琴をやったり、趣味でアコギを触ったりしていた。久しくしていないけれど、弾き語りしたいなぁ。なんて欲求が高まっている。

うん。今度スタジオでも借りて、気ままにやってみようかな。

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遠藤 葵
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