9 わたしと「写真」

どーも、葵です☺︎

今回のテーマは「写真」。撮る方?撮られる方?そんなお話になるかも。

前回の記事で、写真をあまり撮らないからインスタは専ら見る側というお話をしました。
8 わたしと「SNS」

今わたしのデータフォルダは、主にスクショだらけ。

しかもファンキルのものばかり
あー、これツイートしよ〜と思ったり、可愛いーー!!って嬉しくってスクショしまくったり…そんなデータフォルダです。

唯一この画面にある写真は、この前お店で食べたモンブラン。
食べ物の写真は、確かに撮るかもしれないなぁ。

その他は、自撮り
発信の素材になるから、たまに撮ります。
とは言え、自撮りが苦手なわたし。
練習に一日一枚撮っていた時期もありました。
今では前より上手くなったけれど、それでも百発百中には程遠い腕前の模様。
自撮りが上手い方達を拝見すると、いいな〜と思います(´ω`)


そもそも。
わたしは写真に写っている自分が、あんまり好きではありませんでした。
だからポートレートで綺麗に可愛く撮られている作品を見ると、羨ましいなぁ。わたしもあんなふうに可愛くなりたいなぁ。綺麗になりたいなぁ。って思っていました。
どうしたって、整形以外で自分の顔を劇的に変えることはできないのに、自分の顔が嫌いだなぁ。自分の姿が嫌いだなぁ。って思っていました。しかも、何の努力もしようとしないで、です。
なんと言いますか、朝起きたら奇跡的に可愛くなっていたらいいのに、くらいの心持ちで生きていました。そんな魔法のような奇跡、あるかい。物理的には無理だわ。

それが、自分の気の持ちようではどうとでもなるということを知ります。
つまりどういうことかと言うと、

「自分の顔を自分で認めて受け入れる」ということは努力次第でできる

ということを知って、腑に落ちて、やってみようと思うようになったのです。

その一環として、自撮りをしてみたり、宣材写真やアーティスト写真を撮っていただいてみたり…。習うより慣れろ、みたいな精神で、とりあえず写真に写りまくってみればいいのではなかろうか。みたいな発想になります。


そうこうしていくうちに、あら不思議。
自分の顔はこういう顔だから、こっちの方向からこういう角度で撮ってもらった方が写りがいいな、とか分かるようになってきたのです。
最初は絶対に分かり得ないだろうなと思っていた感覚が、徐々に分かるようになってきたのです。あーら、不思議。

その頃には写真に写る自分に対しての抵抗や違和感も、「以前よりかは」ですが薄れてきました。未だに写真写り悪いな自分、とか思ったりするので、完全にYES!!とは言い切れないのですが、それでも写真に写る自分の姿を受け入れられるようになりました。


今では結構、写真を撮っていただくことが楽しくって、もっとポートレートモデルなどのお仕事をやってみたいなと思うようになりました。
撮っていただくことが楽しくなったからこそ、今年の自分への誕生日プレゼントはHANANINGENを選んだのだと思います。


自分の顔を受け入れる努力はまだまだ続くし、決して自分を手放しに「可愛い!!」なんて思わないけれども。

ま〜〜〜、この顔でもいいんじゃない?生きていけてるんだし
くらいにはなれたので、生きやすくていいなと感じています。

そう。
重要なのは、「人からどう思われているか」よりも、まずは「自分が納得して受け入れて居心地いい」ことだと思うのです。
そこから初めて、「人からどう思われているか」へと視点が移れるのではないだろうかと。
初めから自分より他者の視点を持っちゃうと、卑屈になったり、上手くいかなかったり、受け入れられなかったり…と、わたしは全然上手くいかなかったのです。
言わば、「自分が納得して受け入れて居心地いい」は「自分の軸」なんじゃないかと。

だからまだまだ「自分の軸」がブレることもあるけれど、それでも前のぐにゃんぐにゃんの状態よりかは芯があって、生きやすくなったんじゃないかなって自己分析をしています。


やっぱり、自己肯定感って必要なことですね。
そう実感します。
なんでも限度というものがあるとは思いますが、それも人それぞれ。
どこまでを良しとするか、どこからが嫌なのか・ダメなのか、それは人それぞれ。
だから、自分がいいと思う程度の自己肯定感は持って生きていきたいな。
そんな風に、写真のお話をしてみて感じました。

全然、撮る側・撮られる側に行き着かなかったけれど、満足したからここが結論!!


次回は、「可愛い」にしよう!


ポートレートのモデル、お仕事したいな〜〜〜!!!




おしまい。

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遠藤 葵
ご覧いただき、誠にありがとうございます! 今後ともどうぞよろしくお願いいたします☺︎

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