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巡り合わせ

3月も終わる。

つまり、明日から4月だ。
春というのは、春というだけで一大イベントのように思う。何かが終わったり、何かが始まったり。明日から新生活、なんて方も多いのではないでしょうか。

卒業、進級、進学のシーズンになると、必ずと言っていいほど、Twitterのタイムラインが養成所の話で埋まる。どこの世界でも似たようなものなのか、はたまた声の世界特有のものなのか。そんなツイートを眺めながら、あぁ春か、なんて思うのである。

わたしはナレーションに携わる過程で、所謂「養成所」に通ったことがない。如何せん、声の世界が視野に入ってきたのが遅かったもので、もう「養成所」という年齢でもなかった。

今回は、そんな話をしてみようかと思う。10年以上夢を見続けたバレエの道を諦め進路で路頭に迷いまくった、18歳の自分を思い出しながら。

自分の中ではそんな物珍しい経路を通ってきたつもりはないのだけれど、たまに話すと驚かれることがある。そもそも、声の仕事をしようと考えたことはこれっぽっちもなかった。まず、そういう職業があることすら知らなかった。子供の頃はテレビとほぼ無縁の生活を送っていたし、幼い頃からアニメを見ない子供だったらしい。学生時代はバレエ一筋だったこともあり、娯楽に興味を持つ余裕はほとんどなかった。今思えば声の仕事の世界と触れる機会は、ニュースか、好きだったアイドルが出ていたバラエティ番組くらいだった。純粋に番組の内容や出演者に興味があっただけで、ナレーションやアナウンスの視点から考えたことなんて、一度もなかった。

大学時代、ここから漫画に少しずつ触れることになる。文学部に入ったことで、講義の中でも取り上げられるし、友人の影響もあって、一気に世界が広がったように感じた。よく本も読んだ。今まで触れたことのなかった文学作品や戯曲、専門書やビジネス書など、とにかく講義の延長で様々な本を読んだ。そして同時期に様々な出会いとご縁が重なって、小劇場の世界へ足を踏み入れることになる。芝居を勉強したくなったのだ。

小劇場ではどこにも所属せずに活動した。どこかに属してしまうと、身軽に動けなくなる気がする。そう思って、「調べる→オーディションを受ける→受かったら出演する」を繰り返した。ご縁があったところからは再度出演のお声をかけていただいた。お芝居の勉強は色んなWSを受けた。でも、お金をいただけるようになる気配が微塵も感じられなかった。物販やチケットバックなどから黒字になる人は確かにいる。ただ自分がそうなる未来が全く想像できなかった。

小劇場のお客様は、かなりの確率(のように感じる)で観劇後にアンケートを書いてくださる。アドバイスや素直な感想、賞賛などなど…お芝居を観にいらしているから、大抵は役者の芝居や脚本について書かれている。このアンケートで、わたしはほとんど自分の芝居について書いていただけたことがない。「声」について、書いていただくことがほとんどだった。羨ましいと言われることもあったけれど、当時のわたしにとっては自分の芝居より印象に残ってしまう声を、少し疎ましくさえ思った。別にこの声が好きでも嫌いでもないけれど、通ってラッキーくらいには思っているけれど、わたしは芝居を観てもらいたいんじゃー!!って思っていた。

そんな折、一人の先輩がアドバイスをくださった。

「声がいいから、声の勉強をしてみたら?声はいいけれど、セリフ回しがイケてない。声優の勉強をしてみたら、何か舞台に活かせるんじゃないかな?」

こんな感じのことを言ってくれた。その頃はまだ、アニメをほぼ観ていなかった。声優とは?とぽかーんとするくらい、アニメや声優の世界のことを知らなかった。し、自分とアニメの間には高い壁があった。勝手にアニメに対して偏見があった。そしてあまり興味を持てなかった。そんなわたしに、前述の先輩が色々おすすめを教えてくれた。その人は色んなジャンルや年代に精通していて、わたしが興味を持てるように誘導してくれたのだ。そうして出会ったのが「坂本真綾さん」と「物語シリーズ」で、わたしはここから一気にアニメ・声優沼にはまっていくことになった。

さあ、舞台は整った。いざ、声優の勉強をしてみよう!

とはならなかった。アニメを見て、声優さんすごい!やってみたい!!とは思ったけれど、全く現実的じゃないなと考えた。当時、すでに24歳。聞けば中学生くらいから養成所に通っている人もいるらしい。一度バレエの道で挫折を経験したから分かる。才能と年齢が重要なこと。そして一握りの人しか椅子に座れない世界であること。バレエを6歳で始めた自分でさえ、もっと早く始めたかったと思ったくらいだ。芸の道ってそういうものだ。そんな挫折経験をすでにしていたのは、今思えば良かったことかもしれない。24歳の自分は、とても冷静に自己分析を始められた。

芝居よりも印象に残ってしまう、この声。なら、自分の向いている道は「声をメインに使った何か」なのではないだろうか。そして声を超えられなかった芝居。わたしは芝居に向いていないのかもしれない。わたしの声は通りはするけれど、個性的かと言われると答えはNOだと思う。多分耳には入ってくるけれど、「変わった声で気になる!」とはならないだろう。そしてわたしの性格を合わせると、照準はナレーションに絞ったほうが良い気がする。舞台仲間にも、養成所について聞いてみたりもした。この先考えた末、どこかの養成所に入ることがないとは言い切れないけれど、今「この養成所に決めた!」って入るのは無謀すぎると思った。わたしはこの世界について何も知らなさすぎる。それなら基礎的なことをマンツーマンで学んで、且つ業界の情報が集まる場所がいいなと考えた。最後の方は直感でしかないけれど、「わたし、ナレーションを勉強します!」と言い切るモチベーションを持って、やっとスクールの扉を叩いた。

スクールではマンツーマンで、マイク前での発声や滑舌、日本語の文章をどう音に出して読むのが正しいのか、セリフやナレーションなどなど、様々なことを学んだ。マンツーマンだから、先生を独り占め。そして通っていたスクールはたくさんの先生がいらっしゃったので、毎回違う方から教えていただけたのが良かった。盗む先はたくさんあった方がいい。

そこで学びつつ、オーディションを探して受けつつ、業界のことも研究しつつしていたら、今の事務所とご縁があってお仕事をさせていただいております。お芝居じゃお金をいただけなかったけれど、自分の得手不得手を分析して進んでいったら、声でお金をいただくようになりました。初めてギャラをいただいたときは、本当に感激した。「うわ!!自分のやったことでお金をいただいた!!こういうことって本当にあるんだ!!!」って。

まだまだ稼ぎは少ないし、いっぱしの口を利けるほどの実力もない。ただ精進あるのみな現実が横たわっているだけ。数えきれない選択と、数えきれない挫折と、数えきれない迷いと、数えきれない決断の先に、今日がある。ただ、それだけ。

それだけなのだけれど、視野を狭めず、考え方を身につけて、周りが差しのべてくれた手をきちんと掴んで感謝して、進むことを諦めなければ、世界には無数の道があるみたい。そう、18歳の自分に今なら伝えられる。

最後に、事務所に所属が決まったとき、ずっっっっと気にかけてくださった先生が贈ってくださった言葉を記します。あの日から今までずっとこの言葉を忘れたことはないし、この先もずっとこの言葉を胸に一歩一歩進んでいきます。

「多くの屍の上に立っていることを、忘れないでね」

叶える人がいる以上、叶えられない人がいる。自分もこの先、誰かの屍になるかもしれないし、今もなっているのかもしれない。でも。何かを叶えたと、達成できたと思えたなら、それは同時に叶えた者の責務がある。簡単に弱音なんて吐かない。簡単に折れたりしない。簡単に辞めるなんて言わない。簡単に考えることを放棄しない。

強くあろう。美しくあろう。
今日も、明日も、その先も。

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遠藤 葵
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