とにかく字を読みたい時がある
所謂、活字中毒というやつなのかもしれない。
たまに気づいたら、ひたすらスマホを見ている時がある。空いた時間はずっとスマホ。特段目的もないのに、ひたすらスマホ。
で、何を見ているかというと、文字。ゲームや動画ではなく、ひたすら文字を求めている。文字に飢えていることがある。
そんな状態は、Twitterとの相性が悪魔的に良い。ずっっっっっとTwitterを見てしまう。それも見尽くしたら、他のSNSへ。それも写真や動画より、とにかく文字を見てしまう。
これって結構自分の中では厄介で、なかなか自覚できない。自覚したときには既にその状態にどっぷりで、かなり時間を無駄にした気持ちになるからだ。この時ばかりは便利すぎる文明を少しばかり憎んだりもする。いえ、ほんの少し、ですよ。
自覚したら行動できる。というわけで、最近はもりもり本を読んでいます。ただ文字を眺めているだけで終わることもあるけれど、たいていの場合はちゃんと内容が入ってくる。それならこの症状の期間を読書に充てることが最適解であろう。きっとそうにちがいない。
近頃はめっきり小説を読むことがなくなってしまった。大学生の頃は小説しか読まなかったのに。ビジネス書や啓発本を手当たり次第、目的もなしに読んでいた時期もある。最近はきちんと目的を持って、その辺りのジャンルは手を出すようになった。無作為に読むことも悪くはないが、頭でっかちになりがちだと実感した。今はエッセイが好きだ。エッセイも色んなジャンルがあることが分かった。ビジネス書かと思っていたけれど、エッセイと言えるのでは?なんて感じるものにも出会ったり。それはそれで面白い。いや、考えればそうか。ビジネス書であれ、啓発本であれ、基本的に作者の経験したことから誕生した書物というのは、見方を変えて広く捉えたらエッセイなのかもしれない。
自分でもエッセイと銘打って、このマガジンを続けている。わたしはエッセイというものが好きなのだろうな。自分が思うよりもずっと。自分ではない誰かの経験に触れるというのは、その叡智を貸していただけるというのは、とてもわくわくする。自分で経験できるは限られている。時間は24時間だし、身体は一つだし。だから、色んな、自分では経験できない体験や知識、感じ方や考え方に触れられるエッセイは、読んでいて楽しい。わたしは世界を食べ尽くしたい。暴食の、強欲の権化のような言葉だけれど、昔から思ってきたことだ。改めて言葉にすると気恥ずかしいのだけれども、これはもう自分の軸のようなものだから仕方がない。
そんな欲求も手伝って、わたしは今日も誰かの本のページをめくる。
新しい世界に触れられたことに喜びながら。