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フロー状態になれば「苦手」も楽しめる?
「苦手」なことをする意味について、前回に引き続き考えようと思う。
わたしは、仕事を選ぶとき、
楽しいかどうか
得意かどうか
報酬がよいか(見合っているか)
という基準で考えることが多い。
この、「楽しいかどうか」については、「直感的にどう思うか」だけを判断基準にしてきたのだけど、もう一つ、新たな発見が。
それは、「フロー状態に入れるか」ということ。
フローとは、ざっくりと言うと没頭すること。
M.チクセントミハイが提唱した現象で、フロー状態に入ると、数時間が数分に感じられたり、ものすごい量の仕事量をこなせたり、高クオリティーのものを創作できたりする。
さらに、フローに入ると、意識がいまおこなっている体験でいっぱいになり、雑念が頭から追い出され、心配や不安からの解放される。
そして、フロー状態が終わり、多くの仕事をやり遂げた後に、大きな幸福感に満たされる。
私は、取材をしている時や、ミシンで子供の服を作っているときに、よくフロー状態に入る。
今は遠ざかっているけれど、爪の手入れをしていた時もよくフロー状態に入っていた。
フロー状態の時は、今やってることだけで頭がいっぱいになるので、特に幸せかどうかというのは感じない。
だけど、フロー状態が終わると、頭がすっきりしていて、仕事の効率が格段にアップしていて、しかも高クオリティーなものをつくることができて、ものすごく幸せを感じる。
だから、その作業内容が好きかどうかに関係なく、「フロー状態」に入ることさえできれば、大きな幸福感を得られる。
自己目的的活動とは、それを体験すること自体が目的であるがゆえに、それ自体として行う活動である。
苦手なことをやる意味など考える必要がなく、フローそのものを体験したいから苦手に取り組むというのも、ありなんじゃないだろうか?
でも、問題は、苦手な事でフローに入れるのか?ということ。
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フローは、この本によると、現在のスキルで、やっと対応できる程度のチャレンジをしているときに起こるらしい。
なので、余裕でできる作業をしている場合は、フローにははいれない。(上表のコントロールとかくつろぎになる)
さらに、到底処理できない難しいチャレンジの場合も、フローは起らない。(上表の心配とか不安になる)
そのため、フロー自体を目的として苦手に取り組むなら、自分のスキルでぎりぎり処理できるかできないか位のタスクである必要がある。
私が苦手としているのは、記事の修正作業。
この作業を苦手としている理由はスキルの問題ではない(と思う)。
なんというか、人格を否定されているような気がするというか・・・。
(ライターとしてのわたしは、私自身の20%ぐらいだし、修正依頼がきたからといって人格を否定させていると感じるのは大げさすぎると自分でもよくわかってはいるのだけど・・・。)
だから、スキル面でギリギリのチャレンジをしているわけではない。ということは、おそらくフローには入れない。
とりあえずの結論としては、修正作業でフロー状態に入るのは難しいということがわかった・・・。
引き続き、この苦手の対応方法について試行錯誤していこうと思う。