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ギャルから社長になるまでの10年間。
皆さんこんにちは。AZTORYの田中葵です。
2022年11月の起業以来、死ぬほどバタバタしながら約1年半が経ちました。
最近「2児の母」としてのキャリアや「独立」について問われることが多いので、このタイミングで起業ストーリーも含めた私の半生を、私が話す言葉でお届けしようと思います。
参考にならないことの方が多いかもしれませんが、クスッと笑えたり、誰かの勇気になればとっても嬉しいです。
タフネスなギャルだったわたし。
あげぽよ系のギャルを謳歌していた高校時代。大抵のことはノリと勢いで片付けられるひょうきんなやつって感じでした。
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とはいってもシングルマザーで生活に苦しんでいた当時は家にかなりのお金を入れなくてはならなかったので、ほぼ毎日アルバイトをして過ごしていたのがリアル。時給820円で月130〜140時間くらいは働いてたのかな…。
でも、この頃からアルバイト先の人たちと「遊ぶように働く」という感覚があったから全然嫌ではなくて、むしろすごく楽しかったのを覚えてます。
アルバイトの中でも接客のコンテストみたいなものがあって、みんな勤務時間外に何時間も練習に励むわけなんですが(今考えたらブラックみあるけど(笑)。)自分が表彰されたり、仲間が全国大会へ出場することを喜んだり、なんかよくわからないけども阿呆みたいに青春していて「何事も本気でやるから面白い」という価値観が定着した時期でもありました。
アルバイト終わりには夜中にドンキ⚪︎ーテでプリクラ撮ったりバイクでお台場行ったり、とにかく寝ないで遊んでいたわたし。(※ヤンキーではありません)
自分で言っちゃうけどすごいのは、同時にダンス部の活動も週5回でやってて、3年生のときには約50名をまとめるキャプテンだったこと(笑)。選抜で行った大会では関東3位だったりもして、これもかなり本気でやってました。
10代の体力って底知れないですよね、ちょっと頭沸いてました。
顧客様と肩を並べたかったアパレル時代。
当時は大学に行きたいという感情は一切なく、「一刻も早く社会で活躍するのだ」という気持ちで社会人生活をスタートさせました。
なんで大学に行かなかったのかと問われると、奨学金借りてまで何かの勉強をするイメージが湧かなかったというのと、高校が自由すぎて遊びきった感覚になってたのと、バイト先の大学生たちが全然楽しくなさそうだったというのが当時の理由かなと。
文字に書くと本当に単純な奴だということがお分かりいただけますね(笑)。
就職氷河期と脅されまくった時代でしたが、アルバイトでの接客・表彰経験や部活動でのリーダー経験、タフネスギャルが評価(?)されたのか、第一志望の企業だけ選考を受けて内定をいただけたので就活即終了。
2013年新卒でアパレル会社へ入社しました。
希望だったレディースブランドにはじめの1年間は在籍しましたが、廃ブランドとなってしまい同企業の他ブランドへ異動。周りはみんな他のレディースブランドに散っていく中、「葵なら向いてそうじゃん?」というエリアマネージャーの抽象的すぎる理由でメンズブランドへ配属。カジュアルラインだけではなくてスーツまで学ぶのはかなり大変だったのですが、なんとか全国2位まで売ったり店長代理などをお任せしてもらったりしながら、自分が満足いくそのときまで約4年間やり切りました。(どうしても1番にはなれないあたりが私らしい)
メンズブランドでは新宿半年→横浜2年→川崎半年を経験したのですが、私がメンズアパレルにいて楽しいなと感じたことは、顧客型接客とVMD。
リピートしてくれる顧客様は、たまたまお医者様や経営者など社会でご活躍されてる方が多く、毎度気持ちのいい購入っぷりに「お金を稼ぐ」ということに憧れを抱いたきっかけでもありました。そしてそういった方たちが「私から買いたい」と頼ってくださるのもすごく嬉しかったです。
この方たちを対応するというレベルに成長しなくてはいけない、というモチベーションにもなっていました。
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もう一つのVMDというのは、いわゆる購入の導線をつくるための店舗レイアウトなのですが、当時のおしゃれで個性的な店長から色々盗めたということもあって「かっこいい」と「売れる」の違いを学べたのがものすごくおもしろかったです。
天気や在庫によってボディ(マネキン)を変えたり、お客様が手に取りやすい導線をつくったり、パックで購入したくなるレイアウトにしたり、思わず足を止めたくなるフェイス(1番目立つところの演出)など、店長が不在のタイミングで自分が変えてそれが当たるというのがめちゃくちゃやりがいでした。
ギャルの延長線上である当時は全く気付きませんでしたが、今のマーケティング的思考に通づる部分があり、私の「スキ」だったんだと思います。
お金に囚われて心を失った営業マンへの入門。
そんなこんなで何時間でも働ける強い身体を手に入れた私は、「このバイタリティ活かしてちゃんと稼ぎたい」その先の願望として、「シングルで育ててくれた母親に何か恩返ししたい」と思うようになりました。歩合給という考えから高卒・未経験でも採用していただける営業職に絞るわけなのですが、中でもダイナミックなお金を動かせる不動産業界を志望。
“マンションプランナー” という肩書きがなんとなくかっこいいじゃんと思い入社した会社は、いわゆる投資用ワンルームの事業で、このとき初めて投資用不動産を売るということを知りました(笑)。
アウトバウンドセールスが主流の会社だったのですが、当時テレアポは自分の中で「未経験なんだからまあ当然だよね」という感覚で1日300件くらいコールし、「寝ないで遊べるんだから、寝ないで仕事できるべ!」といったザ・根性で、深夜まで自分でリストを作ってました。
アポは取れて部長の同行で商談は重ねてるものの、なかなか契約には結ばず。週休は日曜だけ。商談は口挟むなと言われるのにとにかくアポイントを取れと横でめっちゃ怒鳴ってる。机蹴られる。ホチキス飛んでくる。(ノンフィクションなのがまじですごい)
契約取ることが仕事なはずなのに、アポ取りマシーンとしてすっかりロボット化していたわたし、それでも「稼ぐために」盲目に続けようとしていたのですが……。
一度飲んだことのあった同業他社のT社長から、「この業界自体が嫌いじゃないなら、俺の後輩が起業したみたいだから話聞いてみない?」と、とある社長を紹介していただきました。
フィーリングで次の日に転職してみる。
そこで出会ったのが、同じ投資用不動産事業で起業したてだったY社長です。日曜日に「今ワイン1本あけてきちゃった」と言いながら会ってくれて、「なんだこの人、おもろそう」というのが第一印象。
そして私の現状を話したり企業の方向性を軽く聞いたタイミングで、
「話してみて10分くらいだけど、今の会社を辞めれるんだったら、ぜひ一緒に働きたいと思った!インバウンドで事業拡大していくから接客経験ももっと活かせると思う」
と言ってくれたのです。心が死にかけていたのと、インバウンドセールスを試してみたかったのと、実力があるかないかも分からない私なんかをお誘いいただけたことがとても嬉しくて「とりあえず、明日辞めてきます」と伝えました。
次の日。朝礼後の上司とのミーティングで「辞めます」と午前中に荷物をまとめて会社を出て、午後には次の会社へ出社。Y社長含めた役員3名がいて、4人目の創業メンバーとして迎えていただきました。
このエピソードはやんちゃすぎるので、若気の至りとして流し見しておいてください(笑)。
創業メンバーは「何でも屋」だった。
ゴリゴリの創業期、16平米のシェアオフィス一角でY社長と肩を並べながら仕事をスタートし、営業の仕事以外にも、セミナーの運営やセミナー講師としての登壇、営業企画、さまざまなバックオフィス業務、さらには中途採用など、“ないことが当たり前” のフェーズでたくさんのことを経験させていただきました。
ギャルマインドを抱え「人生おもろすぎ☆」でここまできたものの、21歳のわたしは一気に後輩や責任が増えたことで「高卒だからって、舐められたらアカン(誰)」という感情も芽生えるようになりました。
謎のプライドや、契約契約契約契約契約のことしか頭になかったために浮き沈みが激しい時期。厳しい目で見れば、実力がともなってもないのに一丁前にマネジメントを任されて、それとなくできてる風キャラになってくる自分。
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完全厨二病です(笑)。でもそんなことを見つめ直したり立ち止まったりしてる暇はないくらい、自分に与えられた最大限で会社をスピード拡大させたいと思ってのめり込んでいました。
とあるスーパーマンから学んだ紹介営業の概念。
役員のリファラルで入社した男性がいました。中卒で、17歳から一人で不動産業界に飛び込み、紹介営業だけで年間6億くらいのスピード感で契約を上げるスーパーマン。
その人に、ふと聞いてみたことがある。
「どうやったら紹介もらえるんですか?」
今考えたらセンスのかけらもない質問なのですが、
「まず自分が誰かに紹介したいと思う人間になって、自分の応援団をつくるだけ!」
こう返ってきて、なるほどと思った。自分が大切な誰かに紹介したいと思える人物像……。
ユーモアがあるだけでもだめ、知識があるだけでもだめ、レスが早い人は信頼できるよな、悪いものは悪いとはっきり助言できて当然、つまり紹介が出る人って最高に魅力的だと。
のちにこの概念が、AZTORYのサービスの価値観に結びつきます。そしてこのスーパーマン、今はわたしの旦那です。(爆弾投下)
結婚と出産。わかりやすく自分迷子になる
創業から産育休の第一号を取得しましたが、ブルドーザーのように働きすぎていたこともあり全く復帰するイメージが湧かなかったのが正直な感情でした。スイッチが切れたというよりも、スイッチを入れてしまったらどこまででも仕事してしまうのではないか?の方を恐れていて、切らざるを得なかった感覚に近いです。
そもそも復帰するべきなんだろうか。
子供に満足な愛情を注げるだろうか。
1歳手前から保育園に預けて、成長を見逃さないだろうか──。
当時22歳だった私は、まわりに前例もなくすごく悩んでました。
でも、地域で仲良くなった同月齢のママさんたちが当たり前のように復帰しようとする姿をみて「あ、これでいいんだ。」とすんなり腹落ちして願書を出しに行ったのを覚えています。
今となっては大した話じゃないかもしれないのですが、一度キャリアを手放しかけたからこそ、復帰することを決めるまでの心は、かなりぐしゃぐしゃしていました。
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思ってたのと違った、人事としての復帰。
当時は旦那さんもかなりのハードワーカーだったため、仕事終わりの時間や土日に商談予定が入る営業職では到底子育てとの両立ができそうになく、時短社員でも実現できそうなポジションを模索することに。
創業期にいろいろ経験した仕事の中で1番楽しかった「採用」に携わりたく、人事としての復帰を希望したところ願い叶って人事部に配属いただき、2019年に社会との繋がりを取り戻しました。
当時は38億→97億のフェーズで会社が急成長していて、1年離れている間に組織化・仕組み化されており全く別の会社へ入社した気分に。
そんな中、当時の上長に「田中さんが復帰されるとのことでこれ契約しておいたので、がんがん運用しちゃってください!」と言われてお任せいただいたのが、
Wantedlyでした。
記事書くの?求人つくるの?ライターなんてやったことないし、何かを発信するなんてギャル時代のアメブロ以来だけど…?
そんな気持ちでおそるおそる触ってみたところ、めちゃくちゃ楽しい。自分の運用でたくさんのエントリーを呼ぶことができる。創業期の何もないを経験したからこそ成長したことを発信できる。不動産会社のイメージ一新ができてくる──。
私自身が無知だったこともあり、人事=面接みたいな想定をしてたので(今でいう採用広報というものを当時は知らなかった)人事の立ち位置からこういうものを発信していくってたしかに大事だよな、とふわふわ思い始めてました。
PRの奥深さや重要性に気付いちゃって、沼る。
中長期的に続けていくと、採用の価値観をブランディングするようになってきました。
そして情報収集から媒体選定、10媒体以上の求人やスカウト文の最適化、強化職種に付随したインタビュー記事の執筆、福利厚生や研修、勉強会の情報展開などの企画・ライターに没頭していました。
これに加えて、地方支社の開設にともなって全社の心をしっかり繋ぐべく社内報の発行もスタート。MVVを軸とした発信を社内外にしつづけていたところ「田中さんの記事を見て応募した」という選考者の声や「記事を読むと、自分の会社が好きになります」というメンバーからの声がわたしのところまで届くように。
ここで本格的にPRそのものを勉強しはじめたと同時に、まずは記事や求人をたくさんの方に見ていただきこうと拡散目的でTwitter(現在のXアカウント)、ブランディング構築のためのInstagram、動画で解像度を上げるためのTikTokも始動。
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採用担当のはずなのに社内で勝手に「広報」と名乗りだし、PRでキャリアを積もうと試みます。(やばいやつ)
あれよあれよと広報としての立ち位置が確立してしまい、Twitterで出会った広報仲間と情報交換しあったり他社広報の先輩に壁打ちいただいたりして、気付いたら取材獲得もできるようにもなっていました。
足踏みするステージで危機感。
HRなの?PRなの?という立ち位置でこの先自分の給与をどうあげていくか。2022年のタイミングはそんなモヤモヤ期に突入していました。
コロナ禍以降でリモートワークやフレックスタイム制が導入されたタイミングでフルタイムに戻し、「仕事」そのもののエンジンをすっかり取り戻していたものの何か心にポッカリ穴が空いている。
それは、社会的対価でした。
営業マン時代1,000万プレイヤーになりたいとか尖っていた人間が、やりがいと承認欲求だけを追い求めて完全に牙を抜かれてる。慣れて居心地のいい環境ではなくて、チャンスを刈り取れる場所で自分のキャリアにしっかり向き合わないといけない──。
そう思うようになり、創業期5年間在籍したベンチャーから転職を考えはじめます。
突然のオファーが独立のきっかけに。
エージェントに登録してみたり求人を探したりしてもなんかしっくりこないという日々を過ごしていたある日、Twitterで「採用広報について教えてくれませんか?」というDMが。
オンラインで話してみたら、たまたまわたしと同学年で19歳からの連続起業家として色んな事業を立ち上げている方でした。
当時のフォロワーはたしか3,000名くらいだったと思いますが、採用広報については自分がこれまでやってきた事例をもとに一通りお話ししたところ
「それ、自分がオーナーとして拡大してる企業で立ち上げからやってもらえないですか。」
とのオファーとともに事業内容について紹介いただきました。キャリアコーチング事業で急成長中の2期目のベンチャー企業。そしてメンバー400名ほどが全員業務委託という強烈な組織。
「野球チームみたいな組織で、一人ひとりとプロフェッショナル契約を結んでる。みんなが株式会社自分をつくるべく、経営目線を持ちながら成果にコミットしてる」
これを聞いて、事業云々よりも"プロフェッショナル契約"というワードにワクワクが込み上げてきて、次なるステージはここだと確信しました。この組織への参画と同時に独立を決意し、事業主としての道を歩むこととなります。
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起業家トライアル期間で実績を出せた。
その企業では広報部長としてボードメンバーとなり、HR×PRのすべてを管轄していました。Wantedlyの運用とTwitterのpjから採用ブランディング・採用広報をスタートさせ、徐々に企業としての価値観を固めるべくMVVの刷新、広報戦略からのリリース、メディアリレーション、記者会見、MVV浸透のための社内報発行、採用側ではATS導入や採用イベントの企画運営、広告媒体選定、リファラル構築など、多岐に渡ってがっつりどっぷり実践させてもらいました。
Wantedlyのエントリー率が3倍になったり、TwitterなどもSNSからも内定者が出たり、社内外への発信によってカルチャーが浸透してくる実績が出てくると
「他のベンチャーでもお願いしたい」
と周辺企業の採用広報立ち上げも一気に経験させてもらい、リファラル採用80%組織を実現したり、採用数を8倍にしたり、エージェント依存していた採用コストを大幅にカットできたりと採用ブランディングから企業の体質を変えられる可能性までをも感じていました。
企業ロイヤリティが、採用を制す。
HR×PRの領域を横断しまくり(もはや隔たりがなかったかも)立ち上げや改善を行う中で、定義したことが一つあります。それは
リファラルが出る会社は、いい組織である。
ということ。のちにAZTORYが掲げるサービス理念として本格化していくわけなのですが、では、リファラルが出る会社はどのような会社か?
前でお話しした紹介営業のスーパーマンが言っていた「まず自分が誰かに紹介したいと思う人間になって、自分の応援団をつくるだけ!」
つまり
紹介したいと思える企業か?
企業の方向性や魅力をメンバーが伝えられる状態か?
他者に伝えたいと思えるロイヤリティがあるか?
同じ船に乗る以上、企業のmissionと社員のwillが一致することがとても重要であり、採用ブランディングを実践していく上では何より本質的だと実感しました。
実際に、社内外に向けての最新情報や魅力ポイントを中長期的に浸透できている組織は、エンゲージメントの高まった社員からリクルーター化していくことも目の当たりにしました。
リファラル採用に関しては別の記事にまとめているので、興味のある方はぜひ読んでみてください。
AZTORYに込めた想い
旦那さんの協力やたくさんの経営者に背中を押していただき、「ロイヤリティ高い企業を創造する」をミッションに法人化を決意。
AtoZ(すべての企業、すべての人の)
STORY(歴史や未来、人生を彩る)
そんな想いを掛け合わせて名付けました。
仕事と人生がリンクした状態をつくり、明日にワクワクできる世の中にしていく。HR×PRならそれが実現できると思っています。企業の魅力や価値観は、どんなにいいものを持っていても発信しなくてはなかったことと一緒ですし、逆に見た目を装飾しまくっても、体質を変えていけなければ根強いファンをつくることができません。
今はこの思いに賛同してくださる経営者の方や採用チームに全力で伴走させていただいてます。
ギャルから社長になるまでの10年間
ノリと勢いでなんとかしてきてた自己肯定感高いギャル時代から、10年後にまさか自分が経営者になる日が来るなんて、もちろんですが思ってもなかったです(笑)。
振り返ってみたけども、自分に特別な能力があるわけではなく
迷ったら、ワクワクする方向に転ぶこと
チャンスが巡ってきたらその場で「やる」意思決定すること
思考が停止してしまっても手足口は動かすこと
まず自分から全力で与えるということ
ここを大切にしてきたから、今があるのではないかと思います。
今ももちろん心にギャルは飼っていますので、何があっても「ウケる!」というマインドで大体のことは乗り切っています。(時にどうしようもなくてちょっと凹んだりもします)
毎日突風で吹き飛ばしてるのにも関わらず、サポートしてくれる家族やメンバー、Xを通じて出会った大切な仲間には本当に感謝です。この支えがなくては、現状一人で何もできません。
私も社会に、企業に、大切な人に、たくさん恩送りしていこうと思います。
わたし今はギャルじゃないのですが、
— 田中 葵@AZTORY代表取締役 (@aoi____dayo) January 24, 2022
未だに心の中にギャルを飼ってるので
大体の試練は『ウケる』というマインドで乗り越えられます。
おはようございます!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
株式会社AZTORY
会社名:株式会社AZTORY
代 表:田中 葵
所在地:東京都渋谷区神宮前6丁目23番4号桑野ビル2階
設立日:2022年11月17日
事業内容:
HRソリューション事業
ブランディングPR事業
インフルエンサーマーケティング事業