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災害ボランティアをはじめたきっかけの兄の存在 前編

こんにちは。
災害ボランティア団体愛生です。

今回は私が災害ボランティアをはじめた
きっかけについてお話させて頂きます。

少し暗い内容も含まれますが、よければ
読んでください。

①中学2年生の夏

私は小学生のころからバスケットボールを
していました。

始めるきっかけは2つ上の兄のです。

兄は小学校6年生の頃に交通事故にあい
生死を彷徨いました。

何とか復活して身体を鍛えるために
バスケットボールをはじめました。

ある日、兄がバスケットボール教室に
通っていると雨が降ってきて
私は傘を届けに行くこととなり
持って行って練習を見学していました。

それが私とバスケットボールの出会いです。

そこから私は必死に練習し先に始めた
兄を追い抜くことを目標として
努力していました。

兄は、6年生ということもあり先に
引退という形でバスケットボールを
辞めてしまいましたが
その後も私だけ続けました。

中学生になり私は1年生ながら
バスケットボールをやっていたという
こともあり、すぐに上級生の練習に
参加させて頂けました。

後に聞いた話では、そんな私を兄は
誇らしく話していたそうです。

中学2年生になり兄は高校1年生、
私は地区の代表に選出されました。
家に帰って報告すると、兄は
『自慢の弟や。明日学校で自慢する』
と、言ってくれました。

その数日後の事でした。

②急な連絡

私は、選抜選手に選ばれたこともあり
気合を入れて、部活に臨んでいました。

すると、急に顧問の先生が私を呼んで
『今すぐ家に帰れ。急げ。』
と、言われて訳もわからず
家へ帰りました。

家に着くと、何故か知り合いが
集まっていて、子供ながらに
ただ事では無いことに気付きました。

その時、ついていたテレビを見ると
ニュースがやっていました。

『今日午前、奈良県の吉野川で
   男子高校生が流されて未だ
   発見されておりません。』
『大阪在住の16歳 アルバイト定員…』

そういえば、前日の晩に吉野川に
行くって言ってたな。と、思い回りを
見渡すと、そのニュースを聞いて
母親や知り合いたちが泣き始めました。

そこで初めて、このニュースは
兄の事を言っていると理解しました。

その時の状況は今考えても、恐ろしく
悲しいものでした。

すぐに、バイト先の方が家に迎えに来て
車に乗り込み吉野川まで向かいました。

着いた時には、もう夜になっていて
土砂降りということもあり
捜索も打ち切りとなっていました。

③捜索

現地について夜ということもあり
説明だけ受けて、ホテルに泊まり
明日に備えて休憩するだけでした。

次の日の朝、両親とともに事故現場へ
行くと、警察・消防・バイト先の方
現地の方々が集まっていてすぐに
捜索活動が始まりました。

次の日もまた次の日も、捜索は続き
消防のヘリが出たり、和歌山の海まで
車で捜索しに行ったりしました。

そして4日後。
その日は大雨が降るということで
午前中に見つからなかった場合
捜索打ち切りという話がでました。

また、ダムの放水もあるという放送が
流れて、これ以上の捜索は危険となり
私たちは諦める他ない状況となりました。

そして、捜索終了となり悲しみが
押し寄せてきて、家族で涙を流していた時
下流で見つかったと連絡があり急いで
発見現場に向かい、遺体を確認しました。

確認した時は、冷たい水に浸かっていたので
腐敗もなくきれいな状態でした。
本当に『眠っているよう』でした。

その後、警察にて遺体を再度確認した時には
腐敗が進んでいて身体が膨れ上がり
目からは【赤い涙】のようなものが流れ
本当に可哀そうでした。

家族で確認して葬儀屋に棺桶へ納棺してもらい
家に連れて帰って3日間一緒に過ごしました。

その間の記憶はあまりありません。

ですが、大切な家族を失い本当にツライ想いを
したことだけは今でも覚えています。

④後編へ


ここまででは、何故災害ボランティアを
開始したのかはわからないと思います。

少し長くなってしまいますので、次回
後編を投稿したいと思います。

もし良ければ後編も読んでください。

そこに、災害ボランティアに繋がった
私の『心境』を綴っていこうと思います。

宜しくお願いします。

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愛生のつぶやき
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