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「私」を形成した「環境」

みなさまどうも、碧です。

なんか最近クソ早く朝起きてからわちゃわちゃしてるので、早々に電池切れになり、ゆっくり出来ないでいます。

まぁおかげさまで部屋がとても綺麗になりました(笑)これは有り難い誤算です。

さて…メンタルの事を書く前に、今の私が出来上がるまでの成長過程を少しだけ。

私は東京で両親と8歳上の姉の4人家族として幼少期を過ごしました。当時、近所には同じ歳の子供がいたであろうけど関わる事は皆無でした。ただ、姉がいたおかげで特に言葉が遅いとかはなかったし、4歳からバレエを習っていて小さな集団生活ではありますが家族以外の他人と接する機会もありました。

ある日母親が何を思ったのか私を児童劇団へと連れて行き、毎日演技のレッスンやらなんやらやってました。そこで幼いながらにも「私はここにいる子達とは違うかも」と感じたんです。というのも通ってる子の殆どが家族仲良しで、なんにも考えずに生きてる…と思ってたんです。まぁ子供なら何も考えないのが当たり前なんですがね。

私の父親は元々家族経営の会社で働いていて、ごくごく一般的な稼ぎもありました。母親は当時は専業主婦で、厳格な家庭で育ったのでまぁ細かいし口うるさい。私が何かおかしな事したら普通に平手打ちされてました。でもそれも当時の私は「みんながされてる」と思っていたので、疑問を抱く事もなかったんです。

その点姉は知恵が働くというか、勉強しまくってテストで満点取れば母親の機嫌がいいので、私が物心ついた頃からいわゆるガリ勉でした。だから姉に遊んでもらった記憶はまったくありません。

そこからだんだん母親の「見栄っ張り」な本性が出てきて、何を思ったのか私を近所でも有数のお金持ちの通う幼稚園へと入れました。そこはカトリック教会がやってる幼稚園で、今はどうかはわかりませんが小学校お受験をする子が大半を占めていて、その幼稚園の名前を出すだけで面接官の印象がよくなるとかなんとかいう噂がありましたね。

まぁどれだけ見栄っ張りな母親でもその反面で異常なケチだったから小学校からは公立でしたが。

そんなある日、父親が会社を辞めて独立したんですよ。ある意味男のロマンですかね?そこから我が家は狂って行きました。

独立したはいいが家族を養うだけの稼ぎが獲られない月もありました。その事で両親は毎晩怒鳴り合いの喧嘩を繰り広げ、酒に酔った父親がグラスを投げる…などもありました。

とても子煩悩だった父親は、常に近寄ってくる私をとても可愛がってくれました。私もその時には母親の過保護さにうんざりしてたので、父親と過ごす時間だけが唯一の楽しみでした。

そこからですかね、私は父親と母親で接する性格を変えていました。恐らく無自覚ですけどそうしないとその家庭では生きられなかったんですよね。父親の前では「子供」の私、母親の前では「割り切った」私。そうする事で母親の機嫌はよかったので。

私が壊れていくキッカケとなったのは中学の時に当時住んでいたアパートの大家が離婚するので、奥さんに慰謝料を払うために立ち退きにあった事です。どんなに「家族崩壊」してても帰る場所はみんな同じだったから私もなんとかやってこれてましたが、その引っ越しのタイミングで母親と姉が父親を追い出したんです。正式に離婚したわけではなかったのですが。でも若干14歳の私には母親に引き取られるしかなく…。新しい家にもたまに父親は来てくれましたが、姉が塩を撒いて追い払う始末。そこまで毛嫌いするのもあの人の身勝手な理由で、「自分は父親のせいで大学受験に失敗した」ですから。それまで完璧な優等生だった姉にはその挫折を自分の学力不足と考えずに父親のせいにして自分を正当化してたんです。単なる八つ当たりですよね。

こうして「機能不全家庭」は本当に修復不可能となり、母親のもとで暮らす姉と私は母親の身勝手に振り回される…

といった感じてす。

まぁもっと深い話があるのですが、眠くなってきたので続きはまたにします。


この過去を振り返る覚悟が出来るまで長い時間を要しました。


次回は高校からの事を書けたらなぁと思います。


唯一の救いは虐待を受けてなかった事ですかね?精神的な虐待は日常茶飯事でしたが。


あー、もうこんな時間…寝よう。


まとまりなくてすみません。


ではまたね♪



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碧
ただただグダグダ書いてるだけですが、サポートしていただけたら碧は天にも昇る気持ちになって、調子にノリ、どんどん出しまくりますよ😁