③生きづらさを解きほぐす:脳の使い方を修正する
脳の使い方を修正する:私の内なる旅
なんだか苦手なシーンがある、なんだか変な事になるけど、自分で自分のエラーに気が付けない。そのような形で長年困っていたのだと思います。
今思うとその理由は、「私の認知と思考がゆがんでいたから」
過去の経験から生まれた認知の歪みが、長い間の私の思考を左右していました。誤学習により一生迷宮に入っていて、周りの人も私が何を誤解しているのかは、かなり深堀しないとわからない、そういう状態になっていました。(でもそういう、生きにくい勘違いをしている人は実際結構いる)
今回はそんな思考の歪みと、それを修正する過程について書いてみたいと思います。
歪んだ思考のパターンたち
私の中に根付いていた主な思考の歪みをいくつか挙げてみます。
(自責・無価値観・自分を一刻も早く改善しなければ‥!とぐるぐるしがちだった人の思考パターン一例)
ゼロヒャク思考
人間関係や自分の能力を評価するとき、「完全にできたか」「全然できなかったか」と両方考えて判断してしまう癖がありました。過剰な自責
自分に間違っているという前提で問題を考え、自分を否定し続ける思考がありました。 失敗や問題が起こると、事実確認をすることができず、「自分が悪い」と結論付けてしまうのです。学習性無力感と無価値感
これまでの環境や経験から「私は間違えている」「私は出来ていない」「自分には人に気にかけてもらう価値がない」「私の話は相手に理解されない。話を聞かせるのは迷惑かもしれない」と思い、行動を諦めてしまうことが多かったです。他人の感情に左右される
相手の気分や感情が場のルールと捉え、自分の行動を制限してしまうことが常で、相手が不機嫌になると誤解を解くことも自分の主観を伝える事も出来ず、逃げてしまう。見捨てられ不安と無価値観
これまでの経験から、相手の期待にそぐわない事を言えない。人に期待をされると、距離を置く、それにそぐわない主観を言えずに相手に巻き込まれる、諦める、関係が壊れる。という着地になりがち。
まさか自分に対等な意見を言う権利や、自分の感情や体を守るために自分の意見を言うべきなこと、そして人と関係を築くためには自分の背景や主観を伝える必要があるという事を、知らなかった。
脳の使い方を修正する方法
自分史を書いてざっくり自分のパターンを見た後に、私が行った脳の修正は、まず「自分を疑うこと」から始まりました。
自分の考えを疑う
自分の主観が正しいとは限らない。自分の感じたことや考えたことがどれだけ事実と一致しているのかを、冷静に見つめ直す努力をしています。自分の自動思考を絶対視しないことで、柔軟な視点が生まれました。他人の意見も安易に信じない
「相手の意見が正しい」「いい人そうなら信じる」、今まで人の言葉を雑に真に受けていた事にはリスクがある事、そもそも「死にはしないし」「そもそもどうでもいいし」という人生諦め基準で物事を選択していたので、そりゃ、「死にはしないけども」位の事が起きるわけです。思考に気を付けなさい…!
他人の言葉を受け入れる際には、自分の認知のクセを自覚して、価値観や考えも怪しい場合は他の信頼できる人にも相談しつつ、いくつかの家庭を置いて、慎重に判断する必要があります。誤った学習の修正
長年にわたって誤った思考パターンを、認知療法のように一つ解いていくことが大切です。自分を客観視し、自分の思考や感情を整理する作業を続けています。
修正の助けとなったもの
この中で大きな役割を果たせたのは、人との対話でした。 思考の歪みを見直して、自尊心がキチンとしていて客観視が出来ている安心できる人と話すことがどれだけ助けになったかわかりません。会話することで、自分の思い込みが緩み、心の負担が軽くなっていったと感じました。
また、カウンセリングやボディケアも有効でした。 正直、ある程度心と体と脳みそが整っていないと、きちんとした思考を持っている人と深い話ができないんですよ‥!
感覚として、
自尊心があって健全な人と、根底的に無価値観を持っている人では、物事の見え方やロジックの立て方が違うので、話しが合わないし、こちらのつまずいている所がどこなのかを説明する事が難しい。自己理解を深め、自分を言語化し、客観視していく中で、健全な人と雑談できるようになってから、かなり自分の誤学習が解けています。
ボディケアや呼吸などで緊張しやすい体をケアする事も効果がある。
周囲の方にかけてもらった言葉
・いつも、ここに居ていいのかなって顔しているよ
・外の正しさを探す前にまず自分に成れ
・他人を信仰しようとするな
・自分が欠落した人間だという前提が強く、周りの人は欠落のない価値のある人、と押し付けすぎ。さらに個人の人格を見ていない
・「自分が話して相手の時間を奪ってはいけない」という考えは自尊心を削るからやめたほうがいい
・「自分は人にお世話になってばかり」って言うけど、あおいさんが場の面倒を見ているよね?不思議な事いつも言ってるよ
・相手も悩み多き人間なのだと思うと愛すべき存在であるという前提が持てるかも
成人期後半で暮らしをがらっと変え、人間関係を再構築して、シェアハウスに住み直してただいま1年半ほど。20歳まで鎖国して、そのあとはワーカーホリック的に働いて、自分で主催イベントをして。
いま、色々な人と、対等な立場で、生身で、友人としてや同居人としてこんな風に関わっているのは人生初めて。
エリクソンの言う心理的課題を今からぜんぶ巻きで学び直している感じ、育てなおし中です…!
結びに
トラウマ治療を3年ほど前に始めた時に、トラウマを治療すれば、まるっと治って生きやすくなるんだと思っていました。
ここまで来てやっと腹に落ちたのですが、トラウマは治療したって別人にはならなくて、
自分の形をよく理解して、過去の経験からそこに紐づけている否定的な認知の偏りを、客観的にメタ認知していく。仕方ないものは仕方ないと知って、その前提で自分の生き方を組み立て直す。という事だったみたい。
「トラウマを治療して自分じゃなくなりたい」なんて、自己否定えぐくてじさつのバリエーションの一種だったわ、と思う。
誤解や過剰反応を抜くと、「あ、自分の体や形ってこういう感じだったんですね」「生きにくくて仕方なかった、人に昔に張り付けられたラベルが取れるとこういう感じて生きられるんですね」と試運転を始めている感じです。自分が大きく変わらなくても見える世界が変わる。新世界はなかなか快適です。
脳の使い方を修正すると言っているのは、一朝一夕でできることではありません。私もまだ渦中というか、生きてる限り一生気付き続けるのだと思います。
人は自分の考え方や脳の使い方を変える力を持っています。かかわりのある方々が、より自分らしく納得いくように生きられることを願って。