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好きなボカロ曲の話をしてたらリアルタイムで突き刺さる歌詞だった

 今配信しながら書いてます。まぁこんな変なオタクの文章書き書き配信など誰も見てないけど。

 さてボカロの話をしますか!自分の気持ちとして「バズったボカロ曲」を紹介したところでボカロオタクの皆さんは"当然"聴いているかと思いますので、以前のボカロ記事で少しだけ触れた「ルートスフィア」についてです。
人気曲に埋もれた名曲を掘り起こすのは本当に大事。だんだん聞かれなくなって、完全に埋もれてしまうのは悲しい。

  少し脱線します。Last noteさん、ボカロPですが、ご存じの方はどれくらい居るのでしょう?
 彼(彼女かもしれませんが)といえば、真っ先に挙げられるのが「セツナトリップ」でしょう。ちょうどGUMI全盛期頃に投稿された曲ですが、少し前に投稿された「天ノ弱」と併せてGUMIの歌声はいいぞと確信させた曲でした。
 当時は曲を「メロディー」要は「なんとなく曲がいい」感覚ですね、そんな感じで聞いているのですが、最近の感性でセツナトリップを聴いていたら(車の中でいつも聴いているし聴きすぎて歌詞は覚えているが)だんだんとセツナトリップの歌詞の正体がつかめてきて、ラリっている人が登場人物だとようやく察しました。若い私は「トリップ」を旅行と直訳して理解していたので、旅行の曲だと思っていました。アホですね。理解するととても平成らしい曲だなぁと感じます。いまでも「トリップ」している人はたくさんいますか…。「覚悟決めて負けず生きて」ください。せめてこの曲でも聴いて元気出してください。自分に言い聞かせているようなものですが。

 長くなりました。ボカロ曲って一つの曲に込められている想いがすさまじいのでそれだけで1記事かけてしまうんですよ、セツナトリップだってもっと書けます。その辺の「浅はかな曲」とは格が違うんです。

 話し戻すよ!!!はいそこセツナトリップ聴いてんな!?良いよ聴いてて
さて、ルートスフィアに話を戻しましょう。時期的にはかの有名な放課後ストライドの後です。放課後ストライドかぁ…..まぁここではおいておきましょう。僕の青春の曲の一つです。ルートスフィア。

 まずは穏やかなメロディーが流れます。この地点で「エモい」曲なんだなと察しますね。ジャケットもギターを持ったGUMI一人で察する。
 この曲に込められた想いって凄まじくて(と思っている)、簡単に言うと人生の途方に迷った人は、「人に頼るのではなく自分で決めて突き進め」と言いたいんだとって思っています。
 印象に残っている歌詞を抜粋します。


 なんか自分と仲良くしてくれる人はみんな他で楽しくやってて俺だけボカロの文章書いてるの虚しくなってきてちょっとやばい。結局みんなにとって自分って「複数いる友人の一人」なだけで、「蒼星」は別にキモいから優先度低くなるんだなって肌で感じた。

 ごめん。えっと、上記の歌詞は読めばわかるかな?要は「自分を守るために自分(ハードル)を下げることを選択して生きている様」を指します。今の僕です。ポジティブな思考ではまともに生きていけません。じゃなければどうやって自分を守るんだ?情けねえ。

 サビとその次にて、他人に示された生き方ではなく自分の生き方をしっかりと見つけています。
サビ終わりに「さあ、最初の一歩。何しに行こう?」という名言がありますが、自分で道を指し示すことができるうえで「じゃあ何しよう」と考えているところです。僕は文章を書くことでした。見てくれるみんなありがとう。生き甲斐。
 2番の冒頭、自分で道を指し示したところで人生が彩られていきます。ただ、迷走します。当然です。ここで作曲者の意見的な所が垣間見えますが、「ねぇ、それでいいんだ
最短距離もどうせどこかの誰かにさ、とってのもので
時には回り道かもしれないし」

 どこまでも他者と自分を比較するなと言いたいんですね。遠回りしたっていいから自分の道を突き進め!そんな意思を感じる。

「大人がいつも正しいことだけを教えるとは限らないって
そう教えてくれたのもまた大人で、だから────

ただ俯いていた背中を
粗雑に押しただけで満足そうに去っていった人達にもう道は尋ねない」

 「大人」ここでは社会的な人と解釈します。「大人」のいうことより自分で決めた人生のほうが楽しいと、正しいと。
 そういえば、自分が「社会的な人」の時期があったのですが、ここでの主人公のような人に自分の生き方を強制したことがありました。ほんとうにすみません。今だからわかる、君が正しい。

 

 ラストです。上部2行は説明不要ですね。散々してきました。自分の人生を左右させるような一文が飛びだします。

「明日が来るんじゃなくてさ、自分で行くんだ」

 これ皆できますか?相当な覚悟がないとできないはず。誰もが「他人任せ」で明日を迎えてると思う。またはそうしたいか。
 明日に自分が行くなんてことをしたら、「明日」自分が失敗した場合自分のせいにできない。
 少なくとも自分はできていません。未だに他責思考です。ただ可能なかぎり「自責思考」にしようとはしています。少なからずこの歌詞に影響してます。もし明日。「10/27」の気圧が低くて体調不良でも気圧のせいにしない。リズムを整えない自分が悪い。

 どうですか?皆さん「明日を自分で迎える覚悟」はありますか? 






僕のおくすりだい