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悔しいという感情

 エッセイや日記というものはただ自我を書き殴るだけだけど、人に見せるとなれば当然創造力や語彙力が必要だ。どうも、睡眠薬を飲まなかったせいで体調崩しているころの蒼星です。この記事は土日いっぱい寝る用のストックですが、皆はいつ見てるのかな。仕事中暇なので色んな記事を見ていて、上記の冒頭だけ思いついたので膨らませたいと思います。皆メタネタ好きだよね?俺もそう。

 日記やエッセイを人に見せる以上、なんとなくでも他者の文章は見ておく必要はあると思ってて、そもそも「そういうもの」が好きなので眺めていた次第です。まぁ具体的に言ってしまうとTwitter自発方式と同じで、まず自分をスキしてくれた人の記事を見てそこからフォロワー飛んでの繰り返しです。ちなみに一応言っておくとスキしてくれてるひとのアカウントは投稿者は理解しています。あなたの好きな筆者をいっぱいスキして覚えてもらおう!
 結論から言う。皆文章が上手くて悔しい。段落の使い方、語彙力、文章構成漏れなく全員自分の数枚上手であり、比較すると自分はなんて文章が下手なのか痛感する。勿論、僕は20代後半までゲームや音楽で時間を潰してきた人間で文字と触れ合る機会といえば、国語の授業程度。あと知ってる単語といえばゲームの知識くらい。自分は睦月型駆逐艦が好きでした。まぁ、文章が書けなくて当然なのです。それでも意識して文章と触れ合う時間を作って、皆との差を埋められるように今更ながらインプットの努力はするのですが当然文章と触れ合う癖がついている人間が多く、差は埋まるはずもなく差が開いていく。悔しい。
 とはいっても私はどちらかというと読者に寄り添うタイプで、自分や他社の行動原理を言語化しているのでその点では優位かもしれない。僕はインターネットの今の若者の行動や思考を大体通ってきているのでこれくらいはできる。しかし、文章力があればもっと豊かな表現ができるはず!もしかしたらこんな文体が好きで、要は分かりやすい文章が好きな読者がいるかもしれない。一緒に難しい日本語勉強しよう。
 
 とはいっても、「悔しい」という感情は大抵の人間の原動力であり僕にとってもいい兆候で、ゲームでも人生でも「できなくて悔しい!」と思ったら努力して大抵結果を出してきた。例外もあるが。そもそも大抵3日持たない僕が一か月以上続いてきたものは長続きする。そうなると強迫観念的なものになってきているがそれでもいい。その気持ちはいつまでも持ち続けるべきだ。仕事では悔しいと思わなくなってしまった、もう駄目だと思う。

 昔から漠然と「ちょっとだけ流行ったけど、現代になって振り向かれなくなったボカロの名曲たち」をちょっとでもいいから皆に聴いてほしいという気持ちがある。「ルートスフィア」の記事を書いたのもその感情の表れであり、あの記事は幸いにも意外と見てもらっているのであの記事をきっかけにルートスフィアを初めて聞いたという現代のボカロオタクがいるのであれば、曲がりなりにも架け橋をかけ続けようと思う。逆に現代の曲はボカロおじさんにおしえてね。老害かな?

 まぁなんとなーく、そんなこと思ったよって話でした。クリエイターも読んでいるかもしれないのでお互いインプットはこれからもしていこう。あなた達の方が上なので手加減してくれたっていいよ。今は宮沢賢治著の文章を読んでいて、次はついに「銀河鉄道の夜」を初めて読む。楽しみ。僕なんてこんなものなのです。

 どうでもいいけど「のだ」いいね。いっぱい記事あると思うし書かないけどぜひ聴いてね。


おやすみなさい。


僕のおくすりだい