
4月に1人で卒業式した話
皆様、おはこんばんにちは。碧海かなでです。さて、本日は2月28日ということで一部の高等学校では卒業式が執り行われるかと思います。
ということで本日は、私の中学校での卒業式エピソードについて、お話しさせていただければなと思います。
経緯
2022年1月5日(当時 中学3年)、私は急性リンパ性白血病と診断されました。前日に近所のクリニックから総合病院、大病院へと駅伝方式で運び込まれた翌日に聞かされましたので、正直何がなんだか訳が分かりませんでした。
受験はどうなるのだろうという不安が第一に襲いましたが、中学校の校長先生に助けていただき、急遽ですが受ける予定はなかった近所の高校さん(現在、私が通っている学校です)に院内受験という形で推薦入試を受けさせていただくことが出来ました。
無事に1月中に高校を決め、1年休学させていただくのも了承を得て、治療に専念することができることになりました。そして、一時退院に思いを馳せるようになりました。一時退院とは、院内での治療が長い病気で入院している場合に、治療の区切りのタイミングで数日〜2週間ほど(主治医の判断によって変動)帰宅出来るという仕組みです。
私が受けた治療では、最初の一時退院は治療開始後2ヶ月で可能とされていました。しかし、白血病の治療の最初、寛解導入は殆どの人が2ヶ月以上の時間がかかります。何かしらのアクシデントに巻き込まれてしまうのです(免疫を抑える治療のため、感染など)。かなり順調に治療が進んだ部類に入る私でさえも寛解導入で手こずってしまいました。
そして、最初の一時退院をする頃には4月も終盤に… ようやく一時退院が叶った私は、お世話になった中学校へお礼の挨拶をする為に家族と出向きました。
ひとり卒業式、開式
そして向かえた4月26日の夕方、私は2021年末振りに中学校の敷地を踏みました。職員玄関からあがっていくと、そこには…
職員室の前の廊下で「おめでとう!」と先生たちが十数名ほど出迎えてくださいました。どうやら、ミニ卒業式をしてくださるようでした。そして、S先生(2年生時の担任)に促されるままに校長室へと向かいました。
校長室に入ると、校長先生、3年生の時の担任のY先生、3年生の時の学年主任のC先生が待ち構えていました。まずは、軽く話をしました。
そして、会場が整ったところで、、
「只今より、令和三年度 卒業式を始めます」
「卒業証書授与」
と、校長先生のいつも通りの声で式は始まりました。
心なしか、その声は少し震えているように聞こえました。
「3年1組 碧海かなでくん」
「はい」
私は卒業証書と、花束を校長先生から受け取りました。担任のY先生は、私のその姿を見て泣いていました。ガチ泣きでした。笑
Y先生は、「卒業式(通常のもの)の時の心残りを、忘れ物を、ようやく取り返せた」とおっしゃいました。とても生徒思いな先生で、Y先生が3年生の時の担任で良かったなと心から思いました。
父の提案で、私、校長先生、Y先生、S先生、C先生で写真(チェキ)を撮りました。さらに、C先生がわざわさ「卒業式」の看板を学校の門の前に立てて、私と家族が撮影できるようにしていただきました。
恐らく、私の通った中学校の歴史上初めて、「卒業式」の看板が4月の風に身をさらすことになりました。
帰り道、私はY先生の言葉を思い出していました。
「忘れ物を取りに帰れた」という言葉を。
こうして、ようやく私は中学校を卒業できたのです。
最後に
いかがでしたでしょうか。これが私にとっての中学校の卒業式でした。いかに良い先生方が集まっていたかに気づくことが出来たという点で、普通に卒業式をむかえるよりも良い卒業式であったなと思います。
皆さんの甘酸っぱい卒業式エピソード、是非お聞かせください!
最後まで読んでいただきありがとうございました!