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闘病”後”の辛さをあなたは未だ知らない

皆様、こんばんにちは。碧海かなでです。
本日は、前駆B細胞急性リンパ性白血病を乗り越え、今は経過観察のみの通院になった私の「精神的な辛さ」についてお話ししていきたいと思います。

闘病、と聞きますと「病気に勝ってしまえばハッピーエンド」と思われがちですが実際のところは全く違います。身体的には健康になって、そういう側面では十分幸せではあるのですが、問題は精神面です。

私の場合、闘病”中”よりも闘病”後”の方が数十倍は辛く感じています。闘病中は生きることだけ考えて、自分の身体を信じていれば、ただそれだけでいいんですよ。勿論、治療をなかなか次のステップに進められなくて少し辛い時もありましたが。闘病中はただ生きているだけで褒められますからね。異常事態ですよ。

そんな昼寝で見るような夢から覚めた時、そこに横たわっているのは期待外れな現実です。闘病中に退院後の生活について自分の身の丈に合わないレベルで妄想してしまった代償を退院してから味わいました。そして私を知る人達からの「名もなき期待の眼差し」。私に「闘病経験者」というレッテルが一方的に付与されてしまい、「闘病を通して将来の目標を見つけたのではないか」とか、「闘病したからには(まだ血反吐を吐くような努力をすれば医学部に行ける年齢ではあるし)医者とかになるのではないか」という類の視線に晒されるのです。

私だって好き好んで病気した訳でもないのに、闘病生活が終わったら魔法が解けたように闘病前の自分に戻ってしまったのに。なのに。変な期待をされているような気がする。

そういう周りの変な期待を裏切るように現状は生きている私ですので、私をそうやって曲解している恐れのある人達、つまりは小中学校の同級生とは絶対に会いたくありません。準備ができていませんので。

しかし本日の夜、小学校の同級生から久しぶりに連絡が来ました。この子からは、中学校卒業のタイミングでも連絡が来ていました。しかし、その時に私はガッツリ入院していたので遊ぶことは到底できず、入院しているという漠然とした事実だけ伝えました。

病名は伏せました。なぜなら、その子は(私の小学校の時の印象として)心優しい人だったからです。下手に白血病だなんて伝えたらショックを受けてしまうと思いました。そして私はその子を意図的に避けました。塩対応しました。

私なりの気遣いだったのですが。何なら私のことは忘れてほしかったですね。私がその子の期待に応えられるような人間になっている未来は見当たらなかったので。

彼は私のことを覚えていました。そして、遊ぼうと誘われました。暇だから、と。暇を潰すには人選が悪いなと思ってしまいました。まあ、ありがたいことなんですが…

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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