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ライフワークの契機 - 東日本大地震 -

noteに登録して一週間。

東日本大震災から11年目の今日、自分の記録として残していくこのnoteのスタートは自分のライフワークのきっかけとなった震災についてから書こうと思う。

東日本大地震当時、私は中学一年生。
長野県で震度5、東北とは離れていても初め自分の居住区が震源地なのかと思ったくらいだった。

震災後の支援活動について、私は母が市の社会福祉協議会に勤めていたこともあり福祉事業や国内外のボランティアの情報をよく教えてくれていた。
(私が関心を持っていたかはまた別)

岩手県陸前高田市の、瓦礫をキーホルダーにした製品「ガレキーホルダー」を販売し、地元の人の収入源を生み出すプロジェクト。岩手県大船渡市三陸町や釜石市、釜石市では漁網で編んだオリジナルのミサンガ「環」を被災者の女性たちが中心となって作り、前述同様地元の人の収入源を生み出すプロジェクトに取り組んでいることを教えてもらった。

母が「これを先生に渡して、クラスだけでもこの活動の話をしてもらうと良い」とガレキーホルダーと環を用意してくれ、HRの時間に担任から紹介してもらった記憶がある。
本来捨てるべきゴミになるものもアイデア次第で金銭的利益と雇用の機会を生むことができ、更に人と人を繋げる素晴らしいビジネスモデルだと、幼いながらに感銘を受けた。

当時は自分で何か企画を起こすという発想が皆無だったが、今SDGsの活動に取り組んでいることについても、こうして筆を執るに至った経緯としても震災から生まれたビジネスを知ることは私にとっては大きな転機だったと思う。


中学3年生のとき環境ボランティア委員長を任せられた。母が案件を紹介してくれていたとはいえ元々ボランティアに関心が強かったわけでもなく、むしろ非協力的だったほうなので推薦される心当たり全くなかった(未だに分からん)。

当時、私の中学校では東日本大地震に於ける支援活動について「時代を超えた恩返し」というスローガン的なものを掲げていたのだが、これには飯田大火(別項でいつか書けたら書きたい)の際に飯田市が全国から支援を頂いて復興した背景があり、今度は被災した東北に向けて自分たちが助けてもらったときの恩返しをしようという意図があった。
ただ、個人的に「恩返し」という言葉が好きではなかったので当時全校に向けて書いていた校内通信で、恩返しというワードに対しての異議を(教師に突っ込まれない範囲でソフトに)唱えていた。

こうして顧問教員や前任の先輩にやたら諸々前例への意を唱えつつも委員長という立場が後々のライフワークのスタートになったわけだが、嫌々やらされていた活動へのモチベーションが一本の映画で180度変わることになる。
その作品との出会いは今のところ私にとって人生で一番大きな転機と言っても過言では無い大事件なのでまた次項で✏️


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東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

2022.3.11

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