野生のしっそう一障害、兄、そして人類学とともに
少し前、「ライオンの隠れ家」を見るようになって、みっくんが好きになった。
坂東龍汰という俳優も好きになった。
その直後に、本屋さんで目に飛び込んできた本。
子育てがはじまって、全てのひとがお母さんから生まれた、ということを改めて認識した。
世の中には、自分と似ている考え方の人がいる。
似ていないけれど、お互いの考えをおもしろがれる人がいる。
理解しがたい人がいる。
魅力的に感じる人がいる。
全て、その人自身が持って生まれたもの、そして生きて人と関わって来たなかで培われた環境や状況や経験が、どこかに表れていると思う。
単純に、わたし自身の基準で善悪を判断することに、疑問を抱くようになってきた。
本書を読むと、なりたい考え方に少し近づけるような気がする。
知らないことは恐怖を生み、恐怖は攻撃を生むと思う。
筆者の自閉症のあるお兄さんが、気づかないうちに夜中にひとり出かけていく姿。
彼を縛りつけず、絶えず監視などはせず、居なくなれば警察に連絡し、離れた家族には夜があけてから連絡する筆者の行動を知り、なんだかちょっと気持ちが軽くなる。
何かしらの障害のある人がいなくなったとき、
家族がちゃんと見ていれば、という意見がある。実は、わたしもそうなのかなと思っていた。
けれど、居なくなっても警察などで保護されて帰ってくるお兄さんの描写を見て、単純に、ああ、こうすれば良いのか、という知識が増えた。
何か気になる状況に直面したとき、出来ることがあるかもしれないと。
すると、少し気持ちが上を向く。
いま、育児で不安になったり、怒ってしまうときって、大体自分が孤独を感じているときだ。
けれど、困ったときに話を聞いてくれる人がいたり、何か協力を申し出てくれる人がいると、ぐっと気持ちが軽くなる。
誰かと特段会う予定がなくても、同じマンションのひとにあいさつをするだけで気持ちが全然違う。
あなたを認識していますよと示し、相手もわたしを認識してくれていることを感じること。
どんな人ともそういった触れ合いが出来る、自分にその可能性がちゃんとあると信じられることが、不安を少なくしていくのかもしれない。
それぞれが違う考えを持っていて、世界との触れ合い方、感じ方、表現の仕方が違うことを、
本書を読んで改めて感じた。