(劇と短歌)ロロ「飽きてから」
ロロ「飽きてから」の千秋楽を観劇。
演劇を観るために日帰りで関東に行くのは今年三度目。さすがにそろそろ趣味なのかもしれない。
ロロのことは、盛岡の演劇ユニットせのびのメンバーたちがファンを公言していたので以前から関心を持っていたが、作品を観るのは初めて。
演劇と短歌の融合に興味があったことと、キャストでもある歌人の上坂あゆ美さんのANNやポッドキャストを聴いていたことから、観ない理由がなかった。
初めて降りた渋谷駅は構内工事でごちゃごちゃとわかりにくく、駅から出た道もごちゃごちゃしていた。雨脚が強くなり、坂を下ってきたレンタルの電動キックボードが転倒寸前の派手なスリップをする。これが渋谷か。もう離れたい。
最短ルートを提案するGoogleマップに従い、妙な坂を上り、変な坂を下ると、完全にホテル街に迷い込んだ。あれだ、似たような名前の映画館を間違うようにきっと劇場名を間違えたんだとスマホで調べ直していると、ホテル街の合間にユーロライブは存在した。ここなのか?下北沢に行きたい。
いざ建物に入ってしまえば全国共通の演劇の気配に安心する。良いサイズの劇場。良い椅子の劇場。
スゥっと開演。
それぞれの性格や関係性、マンネリとその変化が描かれる冒頭の会話劇に引き込まれる。
照明が落ち、大きめの音量のオープニング曲が流れてスクリーンに最初の短歌が表示され、2回読めるくらいの絶妙な表示時間で消える。出会いのシーンが描かれ、タイトルが出る。なんだこれ、かっこいい。鳥肌。パンチ強めなタイトルなのに、すっかり忘れていたから、冒頭シーンを思い返しながら「『飽きてから』か。良いタイトルだな」と気づく。
内容は詳細には書かないが、会話劇をベースに演劇らしいエンターテイメント性と、だいぶ親切な演出で、素直に楽しめる。
「左斜め下」って「斜め」要らないよねっていうあまり世に出ていないあるあるが提示された気がして受け止めて「左下」と言い換えられたあたりで、あぁやっぱりそこに軽く触れたセリフだったんだと思ったり、観に行かなかった映画が「きみの鳥はうたえる」なのが三人の構図として面白いなと思ったりしながら、シーンやセリフは殊更には縁取られない。絵を観るような、あるいは、たくさん置かれた小さな箱を開けるような気持ちで、適度な距離感でその世界を眺めていると、短歌が表示される。短歌と物語との重なりは強くない。短歌を鑑賞するときの気持ちというよりは、短歌を詠むときの感覚を体験するような印象。日々の抽出。
終盤、続いていく日々ばかりではなく続けていく日々もあるよなぁ、と思いながらタイトルを思い出し「わ!『飽きてから』か!すごいタイトルだな」と勝手にまた驚く。
「家族にはならないよ」のセリフを関係性をほどいたと感じる人もいるだろうし、逆の人もいるだろう。「家族じゃないから、居られる」って気もする。車間距離をとりましょう、と。ここの受け取りかたは人それぞれかもしれない。僕はまたしばらくは三人で暮らすんだなと感じた。
作品とは直接関係ないけど、ふとジェンガをイメージした。ジェンガは、それぞれが崩したくない態度でいながら、共同で崩壊に向かっている。見方を変えれば、崩したくないチームと見ることもできる。人間関係はそういうものなのかもしれない。永遠には続いていかないけど、続けていこうとすることはできる。
客演の上坂さんはなんとなく「出来そう」な予感はあったが、実際とても良かった。それまで存じ上げなかった鈴木ジェロニモさんも魅力的。初めてのお芝居とは知らず、ロロのメンバーだと思って観ていた。すっかりファンになって配信されているラジオなどを聴き始め、才能に嫉妬すら感じ始めている。
ちゃんと観ちゃうと、例えば短歌をひとつひとつ解釈してシーンと合わせて鑑賞したい人などは、どんな感じなんだろう。ぼんやり眺める僕にはとても楽しめた。観られて良かった。別の作品も観たいと思う。
感想をメモしたくて、ひとまず渋谷を離れたかったが、覚えたふりして歩いた帰り道もしっかり迷って渋谷駅まではかなり遠回りをした。
行き先を決めずに山手線に乗り、車内で感想をXに連ね、気持ちがだいたい落ち着いた日暮里で降りた。ここまでワンセットで観劇体験。そういう作品が好きだし、そういう作品だったと思う。
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