逆境プロローグ・理不尽
時は、小学校1~2年生の頃の記憶に遡ります。
当時、住んでいた賃貸アパートで友だちと遊んでいた私。
何がきっかけだったか…
私の「やめて」と言う言葉が聞こえていなかったのか
友人が私の部屋の壁や襖に私のキャラクタースタンプで押印。
どんどん目の前で押し進めされていく押印。
そりゃもうカラフルなこと。
ショックで青髪の脳内は思考停止・・・
そこで、青髪の母(以下、青母で表現)、帰宅。
(まあ当然叱られますよね)
が、驚いたのは
青母は友人を帰し、私が猛烈に叱られるという事態になったこと。
(なぜにやった張本人はおとがめなし?)
脳内に不安がよぎる。
それは、直感的に正解だった。
今だと虐待と言われてしまうであろう。
青母に頬を叩かれ、鼻血ぼたぼた。
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ちなみに、母の名誉のためお伝えしておきますが
当時は、両親や、教師が叩く、竹刀や竹の定規も使用して折檻する
のも躾けのうちな時代でした。
だから子が親に殴られて鼻血出すとか、食事抜かれるとか
家に入れてもらえない、半日に渡る正座などは日常に存在していました。
母が特別なのではなく、それが比較的当たり前の時代だったんです
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止血用ティッシュが間に合わず青髪の部屋の床が
軽めのスプラッタの中、
青母に説明を求められ私はこう答えた。
「友だちを止めたがやめてくれなかった」
「その状況を見てない青母に私が叱られるのは何故?」
悔しくて泣いた。
子どもながらに、理不尽さを感じた。
友だちを家に呼ぶ行為が軽く嫌になり、
これがきっかけで、親を信用する気持ちが一気にダウン。
理不尽へのこの思いは、アパートの隣の空き地へ。
忍者ごっこと表して、空き地に落ちていた
ドラムスティックサイズの枯れ木の枝を何本か束ね、真っ二つに折る、
ブロック塀を蹴り、後方へジャンプ、
落ちていたリアル瓦で瓦割り!・・・などをして憂さ晴らし。
手で割ることは困難で(痛かった)
踵で割った爽快な記憶は未だにうっすら覚えている。
他には、この時期、家系が剣道一家ということもあり
剣道を習っていたので、木刀で宙に向けて面の練習。
この時点で
小学校1〜2年の憂さ晴らしの仕方ではないと自分でも思う。
子どもっぽさがない。
(もしかしたらそれは、長女だったからかもしれない)
嫌なことが起きたとき、暴れたくなるのは体力があるから。
だから動いてイラつきを消す。
これが当時、小1~2年生頃の私のルーティン。
”言っても、言わなくても、叱られるし、殴られるから。
だったら、言わずに、その時間を短く終わらせて、
イライラする気持ちは、そんな気持ちと体力がなくなるまで
身体を極限まで疲れさせたらいい。”
そして、夕食の時間を過ぎても
ひたすら空き地で体を動かしたり
アパートの階段に座り、起きたことを脳内リプレイ。
何度リプレイしても当時、納得ができず
とても夕飯食べるために家に戻りたいとなる気分でもない。
家に戻りたくない。
この頃からそう考えていました。
(しかし流石に小学校低学年。近所の人に家に帰るよう保護される)
このスタンプ事件に関しては
7~8年後の中学時代のある日、
ふとそのことを思い出し、
「あれ」は悲しかったと青母に告げたところ
「私もやりすぎた。申し訳なかったと思ってる」
「友だちを叱るわけにはいかなかった」
「だからあなたを叱った」
「本当にごめん」
と謝罪がありました。
(自らも母となったの今となっては、青母の気持ちも分からなくもない)
が中学時代のかなり歳月がたった謝罪に
少しの間、「解せぬ」と思いつつも
青母の「ごめん」の一言で、ほぼ許せた自分がいました。
何故なら、その裏で、
これまで青母に助けてもらった色んなこと、
そして、青母を尊敬できるできごとが浮かんでいたから。
やはり、家族。
次回は、許せた理由
「母に助けてもらったこと」「母を尊敬した初めての出来事」
というお話。
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