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みんなみの嶺岡山の焼くる火の こよひも赤く見えにけるかも   古泉千樫 

「青垣」の青丸です。
古泉千樫について、少しお話したいと思います。
千樫は、千葉県で生まれました。
結社「青垣」には、千葉県在住の方が多くいらっしゃるのですが、そんなことも関係しているのかな、と思っています。

生家は再建され、邸内の椿の井戸も残っているそうです。県の史跡に指定され、毎年、関係者の方々で手入れをしていただいている、と新聞に載っていました。
私は、個人的に、千葉の枇杷農家をされている方から枇杷を毎年分けていただいているので、千葉県は懐かしく思えていたのですが、「青垣」の一人としても、一度は訪れたい場所です。


さて、冒頭の短歌
みんなみの嶺岡山の焼くる火の こよひも赤く見えにけるかも

みんなみのみねおかやまのやくるひの こよひもあかくみえにけるかも

「みんなみ」は、南の意味。
野焼きの火が、今夜も赤く見えていることだなあ、といった意味ですが、万葉調のおおらかな歌いぶりですよね。
峯岡山という山があるわけでなく、峯岡愛宕山を中心とした連邦を指しているそうですが、昔から馬の放牧がされていたそうです。江戸時代には、牛も飼われ始め、酪農発祥の地と言われています。
千樫は一時期、酪農にも従事していましたが、こんな歴史的な背景があったのです。

千樫は「アララギ」に所属していました。
万葉調と写実、生活密着的な歌風を特徴としており、近代の人間の深層心理に迫るもので、伊藤左千夫を中心に斎藤茂吉や石原純、千樫らが「アララギ」の編集にあたっていました。
しかし、千樫は実務的な仕事は得意ではなく、編集発行人が島木赤彦らにうつる中、「アララギ」を脱会することになるのでした。

人が集まれば意見の相違が出てきます。
結社は、意見が合わない者同士がどうしてもぶつかり合ってしまうことがあります。
古泉千樫をはじめ釈迢空、三ヶ島葭子などもアララギを脱会していますし、近藤芳美や佐藤佐太郎、島木赤彦などは別の歌誌を創刊しています。
そんな立派な人でなくても、人が多く集まる場所では、己の立ち位置が難しい場合もあります。

ただ、作品を読み合うということは、とても勉強になります。
短歌ブームなどと言われていますが、誰かと短歌について、話を交わすことは現実的には難しいものです。
青丸も、縁あって「青垣」の仲間に入れてもらったおかげで、なんとか歌を作り続けてこられました。
わからないことを教えてもらって、少しずつですが賢くなりました。

短歌に興味がある方、よろしければ、「青垣」入会、ご検討ください。

いますぐ、ではなく、まずは、青丸のnote、読んでくださるだけでも結構です。

では、また。








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