制作余話#7「しずけさや」蝉時雨編
書ききった作品の反省会はーじまーるよー。
今回は連作短編「しずけさや」エピソード3蝉時雨編を振り返ります。
改題とモデルの話
本作は元々「命々蝉(ミンミンゼミ)」という別タイトルで連載していました。これの由来はモデルとなった土地ではミンミンゼミがよく鳴いていたからでした。話が進行するにつれて「蝉時雨の方が合うな」と思い、途中で改題しました。一番書きたいシーンが雨が降り出すシーンだったので、それを印象付けたかったのもあります。
モデルになった土地は私の親元がある地域です。太鼓祭りも現実に行われています(特定されちゃう?)。そこは地理的に水源豊かで水不足など起こり得ないはずなのですが……。太鼓祭りは雨乞いの為に行われていたそうです。地域の図書館等で詳しい話をしっかり調べたかったのですが、本作を書こうと思った頃には暇と足がなかったので断念しました。
登場人物についてもモデルは存在しています。「葵」はまんま私です。その周辺の人間関係は言わずもがな。性格や細かいエピソードは全てそのまんまという訳ではなく、もちろん創作も混じっています。どうしてこんなに私生活に近い話を書こうと思ったのか、それには当然きっかけがあります。
きっかけ
この話を書こうと思ったきっかけは母方の祖母の死でした。読んで頂いた方には申し訳ないのですが、本作は他人に向けてというより自分の心に整理をつける為に書いたというのが実情です。故に所々説明や前振りがなくて内容が伝わりにくい部分があります。自分がわかれば良いと思って書いていたので。
作品には祖母との思い出や何となく覚えていることを盛り込んであります。例えば布袋さんの木像なんかは実在しています。ただ、振り返ってみれば私が知っているのは「私が物心ついてからの祖母」だけで、それまでどんな生涯を送ってきたのかを全く知りませんでした。小さい頃に枕元でおとぎ話なんかは話してくれましたが、昔の話は聞いた覚えがありませんでしたし、親からもそういった話を聞いたこともありませんでした。葬式の際にお坊さんから故人の話を聞いて、ようやくその事実に気が付きました。
じゃあ私は祖母の何を知っているのか、知っていることだけで物語を作ってみようと思ったのがこの作品を執筆し始めたきっかけです。特定を避ける為に創作も混じっていますが、事実も多く取り入れてあります。最終的に「命や神様って何だろうな」というテーマに移って、思ったことをそのまま乗せていった為に話が取っ散らかってしまったので、他人には訳のわからない作品になってしまったきらいはあります。
身内の死を「しずけさや」で取り扱った理由
作者の私生活に関わることを扱うなら「しずけさや」ではなく、別に単発作品で取り上げた方が良いのではとも考えました。でも、舞台なりテーマなりがこの作品で扱った方がやりやすかったので沙夜さんの助けを借りることにしたのです。
親元には盆と正月に顔を出していたのですが、お盆に訪問した際は毎年ミンミンゼミが大合唱していて、私の中では親元=ミンミンゼミの図式が成り立っていました。蝉屋が主人公のこの作品にうってつけ……いや、むしろ「しずけさや」はこれが下地になって生まれたのかもしれません。
命や霊的な存在を考えるに当たっては、沙夜さんのような得体の知れない存在が自ら「こんなもんよ」と答えを提示してくれたら、心が楽になる気がしたというのが主な理由になります。自分の創作物に救いを求めたと言えば良いのでしょうか。創作のキャラクターも自分の脳から生まれたものですし、答えは自分で導き出すしかないと何となく思っていたのかもしれませんね。
何気に沙夜の過去とか出てます
本作執筆の背景はこれくらいにして、次は内容に関するお話を。
この作品では沙夜の過去や事情などが色々語られています。わかりづらいお話なのに大事そうな要素が入っていて申し訳ない。
まず、沙夜は過去に移動ができます。それを示している文章が3章「無だ」にあります。
遠目から見ても珍奇な格好をしているのがわかった。
長い髪を後ろに束ね、薄布でできた丈の長い上着を羽織り、中には上等そうな生地のシャツ、下は青色の丈夫そうな長ズボンという出で立ちで、細い手には子ども一人が入りそうなくらい大きくて、見たことのない素材でできた四角形の鞄らしきものを携えている。
(何や?都会の人か?えらいごっつい格好して……)
謎の女はこちらに気が付いたのか、つかつかと歩み寄ってきた。小さくて白い顔、細いフレームの黒縁眼鏡をかけている。
娘は「そんな薄っぺらい眼鏡でよく視えるんかいな」と思う一方で「綺麗な人やな」とも思った。
おしげの視点で語られているのでわかりづらいですが、この場面での沙夜の服装は現代(平成~令和の時代)のものになっています。カーディガンにブラウス、下はジーンズを履いており、樹脂製の大きなトランクケース(キャスター付き)をイメージしています。これだけだと伝わらないかと思って眼鏡も追加しています。おしげが生まれた時代は戦前戦中辺り、この頃の日本にすでに存在していた物もありますが、田舎の子どもなので目にしたことがないのではと踏んで描写しています。
次に彼女は一時期までは神ではなかった。そして江戸時代にも活動していたのがわかっています。時間移動もしているのではっきりしていませんが、とんでもなく長生きしている可能性も仄めかされています。元々型に収まらないスケールの人物として設定していましたが、ちょっとずつインフレしています。基本的に「しずけさや」は連作短編として色んな話を書けるように含みを持たせるのを意識して書いています。なので、沙夜とその周辺の共通キャラ(静羽やマスターとか)に関わる伏線は一つのエピソード内で回収されずにほったらかしの場合もあります。まだ3作しか書かれていないのに、これらが回収され切るのはいつになるやら……。
一応次をどんな話にするのかは想定しています。今回がいまいち読者に伝わりにくい内容だったので、明快な話にできればとだけお伝えしておきます。
三人称難しい
カクヨムの作品紹介ページにも記しておりますが、この小説は執筆の練習としてスタートしました。「導き蝉」の章は伏線を張る練習、「空蝉」の章は複数の視点で物語を展開する練習として執筆しました。
では本作では何を練習したのかというと、見出しの通り三人称小説の練習です。現代の時間軸では「葵」の一人称視点で語られておりますが、おしげパートでは三人称になっています(と言っても所々おしげの主観が述べられていて完全な三人称とは言えない)。
これがさらに物語を読み苦しくしています。完全な経験値不足。もっと集中して本読め案件。あと、基本以前の問題だと代名詞に苦しんでいます。それに加えて、読み返すとわざわざ「~は」と主語入れなくても良いじゃんって部分がけっこうあります。悩みすぎてお前おかしくなってるぞという文章がちらほら。勢いだけで書いた下ネタ小説の方が文章がまともだったり……。
私の主観では一人称の方が圧倒的に楽に感じます。人物によってはくだけた書き方が合ってる場合がありますし、書くべき事柄と書かなくて良い事柄がはっきりしているので明快に物語を動かしやすいように思えます。
一人称なら視点となった人物の事情にスポットを当てて書けば問題ないでしょう。Aさんの視点で書いている時はBさんの心情を書かなくて良いし、Bさんの視点に転換した際に心理のすれ違いを描いたら十分面白くできます。三人称だと一人ひとりにスポットを当てるのは難しく、こうはいきません。あくまで私の力量ではという話ですが。
要するに本作では「しーやんの生き様」にスポットを当てようとした為に合わなかったと言いたいのです。執筆にあたっての動機・テーマ・目的が全部ちぐはぐなんだからそりゃクオリティ落ちるよ。
あえて良かった所をあげるなら
自己満になりますがこの作品を通じて色々考えたことで、身内の死に対して心の整理がついたのは良かったかなと思います。読者様にはこの作品に表れている心のブレのようなものを感じ取って頂ければそれで十分です。
それと作中の雰囲気に関しては、過去二編よりも不可思議感が出せているのではとちょっぴり手ごたえを感じています。
以上、ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
まだ本編を読んでいないという方は下記リンクからぜひ!