※あくまで個人の感想です。 ※ネタバレを含みますのであしからず。 ハリーポッターシリーズのその後を描いた舞台作品『呪いの子』を観てきた。 一番の感想は“長い”。とにかく長い。1幕の終盤は幕間が待ち遠しいくらい長く感じた。 小学生くらいの子たちも観に来ていたし、客層が幅広いのは良いことだと思う。ただ、客席から「これ、ノンストップなの…?休憩まだ?」というゴソゴソ音が伝染していたのは確か。 そもそも長編シリーズの舞台版だし、いろんな要素を入れたくなる気持ちは分かる。 ただ
「パトロンをつけろ」 先日の個展期間中、階下の飲み屋で常連と思しき人にそう言われた。 映画のプロデューサーと名乗るその人は、アバンギャルドやアングラの時代に生を受けており、芸術に情熱を持っているようだった。 オノヨーコについて熱く語り出した時には既にボトル一本以上は飲んでいたらしい。私も私で酔っぱらいの講釈はシラフの人間よりも嘘が少ないので適当に相槌を打つと決めていた。 で、話しは巡り巡って“パトロン”に戻る。 率直な感想は 「いつの時代の話をしているんだ」 って感じ。
はじめに 私の意見が全て正しいとは思っていません。 観た人それぞれにいろんな感想があって然るべきです。 この作品に感動した方も、そうでない方も、何故そう受け取ったのかを各々の書きたいところへ書いてください。皆様のマコトとコトワリ、お聞かせ願いたく候ってことで。 以下、文中にネタバレを含みます。 また、作品に対する批判的な内容がありますのでご注意ください。 言いたい放題言わせてもらってますが、特定の個人を攻撃する意図は一切ありません。 大事なことなので明言しておくと、
コンドルズは学生の頃に一度だけ公演を観たことがあって、好きなんだけどなんだかんだであの人たち最近どうしてるのかなーくらいの距離感で。 ハンドルズは存在を知っていたけども観たことは無く、いつか観に行きたいなーくらいの距離感だった。 その2組が本格的にタッグを組んだ初めての今作。 開演前にこれを読んで、こんなにビックリマーク使うんかいと心の中でツッコんでたけど、このフライヤーの文言に一切の虚偽が無いと断言しておく。 コンドルズの面々がちゃんと歳を取っていて安心した。近藤さんは相
某出版社の文章、なかなかの悪手だった。 著作権について言及したところは好感を持って読み進めたけど、あんな形で終わらせるのは読み手を手玉に取れるとでも思っているのか、大衆の好敵手になったような振る舞いに見えた。 私には一般的な出版社と作者の関係が分からない。 でも少なくとも仕事の付き合いなのだから、責任の所在を考えるこのタイミングで感情を優先すべきじゃない。本当に寂しいのは遺された親族や友人でしょ。 自分たちの仕事が(間接的にでも)その人たちから故人を奪ったと理解しているな
私が絵を描いたとして、その絵の真意を理解し、愛してくれる人の手に渡るのが一番良いと思う。 一方で、私の意図しない琴線にかかり、それが誰かの抱えるものに呼応するならば、それもまた良いと思う。 私の作るものは大衆という規模を相手取っていない。そんなこと出来ない。 人を傷つけないようにと配慮はするが、完璧なる配慮など無いとも思う。 悪意を持って歪められた時、それは私にとってとても不快だと思う。 私は自分に嘘をつくものは作れない。切実な動機が無ければ何も描けない。媒体は違えど、芸術
はじめに 作品のネタバレを含みますので、ご注意下さい。 昨年の12月初旬、私はふとした思いつきでパーマをかけた。が、もともと頑固な直毛なので今現在パーマの面影は何処にもない。私は考えた。もう一度パーマを当てるとして大体一万円前後だろう。そのお金があるなら、何か舞台を観に行ったほうが生産的なのではないか、と。 そんなわけで『WHAT A WONDERFUL LIFE 』のチケットを購入した。 SNSで前説があると告知されていたので早めに入場。客層は老若男女全て揃っ
11月27日〜30日まで座高円寺2で行われた朗読劇『エダニク』の感想です。 ネタバレを含む主観的感想文ですので、本編が気になる方は千秋楽の配信やDVDをご覧ください。 はじめに なんだかんだで人生初の朗読劇。演劇という媒体における朗読劇の立ち位置がよく分かっていないまま会場へ向かった。 舞台上には3脚のパイプ椅子。その側に小さなテーブルとストローの刺さったマグカップが等間隔に並んでいる。セット後方は無機質な格子状の窓?と太いパイプ。手描きのタッチが陰湿な雰囲気で良い感触
目が開かない朝。瞼は上下が癒着しているみたいで、切開する必要がある。 頭の中では夢の延長線で陽気なお兄さんが海を漂流した体験談を続けている。 沖に流されて50分ほど経ったところで友人と逸れ、小さな灯台を見つけたと語る。これは話しのオチまで折り返した、と思う。 上の階の人がトイレを流した音がする。朝だ。起きなければいけない。分かっているけど私はお兄さんにお節介を言いたい。クロールよりも平泳ぎした方が体力を温存出来ると。いや、背泳ぎの方が溺れないんだっけ。 いい加減起きなき
2022.1129 子どもが1人消えた。 どこを探し回っても見つからず、空き地で遊ぶ子どもたちに聞き回ると、廃れた集落へ行ったという。 2人の男の子がモジモジと話しかけてきた。自分たちも一緒に言ったがあの子だけが戻って来られなかった、と言った。彼らもまだ信じられないようだった。 私はその2人と、面白半分でついてきた女の子を連れてあの子が消えた場所へと向かう。 崩れかけた家々は、私たちが奥へ進むほど自然と一体化していて、かろうじて足を踏み入れられた所は一階の2部屋だけが形を保っ
お礼のお菓子を用意するため、お世話になった人の名前を書き出した。人の名前がポロポロと頭に浮かぶ。こんなにもたくさんの人と関わっていたのか。その人と交わした会話、一緒にした仕事も思い出される。 添える程度に、と始めたメッセージカードの文はスルスルと浮かぶ。 母が亡くなってから、「なぜこんなにも悲しくて寂しいのに、それを母へ伝えられないのか」だなんて子どもじみた想いをずっと抱えていた。でも就職してから、知らなかった世界に出会ったことや同僚に優しくしてもらったことなど、そ
松阪にある親戚の家から東京までの帰り道、ふと思い立って「刀工 村正」縁の地である桑名宗社へ行って来ました。 走り書きのレポですが、ご参考になったら嬉しいです。 最寄駅の桑名駅と西桑名駅はほとんど同じ敷地内にあるので、利用しやすい方で◎ ちなみにJRを使えば、名古屋駅から桑名駅までは350円!安い!!!! 近鉄桑名駅の改札出てすぐのところにコインロッカー有り。小銭しか使えないのでご注意を… 東口へ出るとバスの乗車レーンがあります。 桑名宗社までは歩いても行けるらしいけど
微々たる退職金とはいえ、その全てを水で薄めて生活費に使いたくはないと考える、酔狂な貧乏人が私である。 そんな折、学生時代にお世話になった方が個展を開くというのでお邪魔してきた。そして5年半の労働の対価として、私は小さなオブジェを迎えることにした。 『little people』と題されたセラミックのオブジェは私の両手に収まるサイズで、フレアスカートの様な裾を広げて地面から立ち上がっている。 人でいうと両手にあたる部分に穴が空いていて、その穴にはささやかな植物を生けるこ
シフト制の仕事では、最終出勤日に全員と顔を合わせるのは難しい。どうしてもまばらに別れの挨拶をすることになる。 小柄なその人は品出しの手を休めることなく、ぽつりぽつりと私に話した。チャキチャキとした手際が、今日は空回りして見える。 私と目を合わせないまま、「あなたはね、小さな女の子なの」と言った。『花咲山』に出てくる少女に似ているらしい。 なんとなく保育園で読んだ覚えがある。 子どもの小さな我慢が山に花を咲かせるというストーリーだったと思う。 私はその絵本に出てくる女の子
はじめに注意書き 今更ながら、以前から書いていた舞台の感想をポツポツとあげていこうと思います。 原作を知らなかったのですが、舞台化を期にアニメを観ました。どハマりして今現在も見返してます。 一部加筆はありますが、極力書いた当時のまま載せてますので、新木宏典さんのお名前が旧芸名 荒木宏文さんのままです。 ネタバレ・個人の感想を含みますので少しでも気になった方は絶賛発売中の円盤をご覧ください。 総評 全体的には満足度の高い作品。 強いて言うなら刀を抜いた時の姿をち
2022.0407 黒くて平たい二枚貝が、時代遅れのファンシーな雑貨屋に並んでいた。淡いピンク色の真珠を生む貝らしい。だがその貝の一番の魅力は、痺れるような舌触りの身にあるのだ。真っ黒な痰のような身を舌の上に広げた店主が美味そうに味わっていた。 何故だか分からないが、私は店先にあったプラスチックのバケツを手に持ち、水の中でも使えるライトを首から下げて外に出た。治安の良くなさそうな港町は夜だった。 貝を探したが、めぼしいところは既に採り尽くされていた。古びたビルの窓か