1年と焦燥、僅かな諦め、希望など。
前働いてた会社でぶっ倒れ、仕事を辞め、離婚して、車に跳ね飛ばされ、コロナに罹患し、引っ越しを達成してそろそろ1年たつ。長かったような短かったような気がする一年だった。
この一年、自らのキャリアアップだとか、将来の展望に向かって努力したとか、そういう前向きなことは一切して来なかった。する気もなかったし起きなかった。
変わりに東南アジアに行ったりトルコに行ったりした。有り体にいったら自分探しみたいなものだが、当然東南アジアにもトルコにも探すような自分というものはない。どこに行ったって向き合いたくない自分はイヤというほどついてくるし、こうなりゃ諦めて付き合うしかねえよなあ、という思いを新たにするぐらいが関の山だった。でもこれぐらいのことはおれでも思い付くから、世のたいていの「自分探し」をする人も見つける、多分当たり前すぎる事実なのかもしれない。
二度の海外から帰ってきても未だに旅は恋しい。道中には面倒事も絶えなかったはずなのだが、いざ帰ってくるとすべて恋しい。おれは人より発達が遅い人間なのだが今の年齢で大体世の大学二回生かそこらの精神年齢らしいから、世の大学生がバックパッカーにハマっている理由が遅まきながら理解できた気がした。遅まきに発達するなら遅まきに発達するんだなあと開き直ってやっていくしかない。以前はこの事実を受け入れるのが本当にしんどかったが、最近はまあそうなら仕方ないよな…と思って受け入れつつある。仕方ないのだ。
旅が恋しいなあ、と思っても、旅に出るのは金がかかる。そうなると当然の帰結として金を作らないといけない。金を作るとなると働くのがよい。働くか、と思って日雇いのバイトを探したら有資格者向けのバイトがあったので働いた。何回か働くと正規で働かないか、と言われたのでいいですよ、と答えた。
今年は漠然と働いて金を作って旅に出ようと思っていたからちょうどよかったのだが、後になって考えると、正規で働くということは、これまでのような無手勝流の旅は多分出来なくなる。それに自分の夢の一つである珈琲店を営むというところからも遠ざかる。ひょっとして選択肢をミスったかなあ…と今更ながら思ったが、まあ回り道もいいだろうと思って働くことにした。
正直にいうと先の職場で珈琲店に対する思いが大分枯渇していた。好きな業界ではあったが疲弊して疲弊し過ぎて「なにをやっているんだおれは」と思っていた。結果倒れたわけだが。
でもやっぱり珈琲店をやりたい思いは依然としてあるし、そこに着地したい気持ちも以前よりは戻ってきた、と思う。本当はそう思いたいだけかもしれないが。
2024年は始まった。おれのターニングポイントである2023年の2月19日を起点として2024年2月19日まではこの一年だと思っているのだが、去年の7月くらいにはこの一年と半年ぐらいに働き出すような再スタートが切れたらいいかなとあたりをつけていた。なんとか自分の、限りなく予想に近い約束のようなものは果たせそうである。
将来のことに非常に不安がつきないが、まだ希望はある。付き合いのある人を今年は大事にしたい。そうやってもうちょっと息をしていきたいと、最近は思う。