『ひとめあなたに』観劇感想文のような日記のようなもの。
友人(先輩)が出ている演劇を見に行った。本当は6月16日午前の部を予約していたのだが完全に寝過ごして、銭湯に行った辺りで「今日ここでこれを観ておかないと寝るときハチャメチャ気持ちワルいな…」と思ってスーパーカブをすっ飛ばしてシアターナインへ向かった。
正直にいうと予約とか待ち合わせとか、先の予定を埋めるとかハチャメチャ苦手である。昔はよく遅刻したりすべてをすっぽかしたりしていたのだが最近ようやく以前より人付き合いらしきものの真似事が出来るようになってきたところだったのだ。同じような症状の諸兄姉ならご理解いただけると思うが「改善が見込めた時期に昔のミスを繰り返す」みたいなことがあると、メチャクチャ凹む。
で、当日券を求めたところ、なんとキャンセル待ちチャレンジになった。グヌヌヌ観られるのか?!?!
と思っていたら予約しておいてこない不届き者(おまえが言うな)は結構いるらしく、キャンセル待ちの人全員はいれた。もう5割勝ったも同然である。チャレンジ成功。
ここからようやく演劇の感想めいた文章になっていく。なっていくのだが言い訳さしてほしい。個人的なド偏見で申し訳ないのだが演劇にまつわる人々にハチャメチャ畏怖の念がある。というのもかつて落語研究会というところに所属しており、それなりに稽古はしていたし、似たような表現形態ということもあって、演劇人の知り合いもいたのだが、彼らに対する印象といえば「ストイック」の一語につきていた。また、観劇する側の演劇オタクの皆様もそれはそれは目の肥えた方が多く、今でもTwitterのフォロワーの演劇オタク氏たちの演劇の感想を観る度に「そんなところまで?!キッチリ鑑賞してらっしゃる?!」と毎度毎度ビビり散らかしている。ようは演劇鑑賞に関してはズブもいいとこ、ズブズブの素人なので「コンナコトヲ言ッテハ…何カ間違ッタコトヲ言ッテイルノデハナイカ…」という恐怖が尽きないのである。
というわけで演劇をセンチメートルぐらいしか知らない人間の駄文に付き合って頂くことになる。ここからは。
さて、ながなが言い訳をした上で今回みた『ひとめあなたに』についての感想だ。かるくあらすじのおさらいから入る。原作は寡聞にして存じ上げなかったがSF作家の新井素子女史の同名小説らしい。しかし読んだことがないので演劇版に絞る。主人公は山村圭子という美大卒の女性である。ある時彼女は恋人の森田朗(モリタ ロウ)に素っ気なく振られる。振られたところに前々から圭子に想いを寄せていた大介に飲みに誘われて飲んでいたのだが、よった勢いの大介に口説かれているところに「あと一週間で巨大隕石が地球に衝突して地球が終わります」という政府の緊急ニュースが流れる。朝起きて自暴自棄になった大介は圭子に迫るが、圭子は「朗に会いにいく」と突っぱねて出て行き、練馬から鎌倉まで徒歩で朗に会いに行くのだがそこで4人の様々な人に出会う。地球最後の日まで受験勉強にとりつかれた少女、この現実が夢で、自分が見る夢が現実だと信じる少女、良き妻であったが夫への愛情の深さから浮気した夫を殺して食べようとする妻、初恋の人とは別の男と結婚し、妊娠している女…そして…
というような話である。
芝居を観る前から粗筋は抑えとくか、と思って文庫本の紹介文ぐらいは読んでおり、隕石で地球がヤバいということは知っていた。突拍子過ぎへん????と思っていた。しかし実際に舞台でJアラートのあの音が鳴って隕石降ってくる広報が流れるのだが、そこの演出(演出がなにかとかよくわかってないが)で、「ああ、隕石降るんや…」と納得させられてしまい。一気に引き込まれた。
まずオープニングの大介のキャラクターが(演者さんの努力の賜物だとは思うが)非常に良かった。観客側から観たら酔った勢いで横恋慕していた女を口説いて、地球の危機にかこつけてイッパツキメようとしているクズに見えるが、実際地球が終わります!とアナウンスされて前から好きだった女が目の前にいたら、おかしくなっておかしなことを言わないか自信がない。この凄く静かに狂っていくところが自然ですげえな、と思っていた。
対して山村圭子。ずっと出てくるのだが、終盤近くなるまで彼女は観測者である。そしてその演技もすげえなあ、と小学生の感想しか浮かばなかった。私はこの話をある種のロードムービーとして観たのだが彼女は「恋人に会いに行く」という大きな目的以外には受動的である。受動的だがそれは4つのエピソードに関して彼女が観測者の立場にいるからなのかもしれないと思った。
圭子が最初に出会う、受験勉強にとりつかれた少女はただ受験勉強にとりつかれているのではない。母の言い付けを守って、母に呪われ、ずっとレールの上を走るように生きてきた。それがある日レールがなくなる。自由にして良いと言われるが、そうはしない。レールがなくなっても走り続けることに固執している。彼女の復讐だと思うが。これまた静かに狂っている。地球最後の日が近いが最後までレールを走ろうとする。傍目に悲しい少女だった。最終的に彼女は地球最後の日を迎えることなく暴漢に襲われて命をおとすのだが、フト彼女の中で地球は隕石で滅亡したのか?と思った。彼女はただ暴漢におそわれて死ぬ。地球最後の日まで生きようと思えば生きられたのに死ぬ。山奥で倒れる木は無音なのか?という話があるが、彼女にとって、というか地球が終わる前に死んだ人にとって、その人の中で地球は滅亡したのかなあ?というのがなんとなく疑問であった。
次、夢見る少女。白状する。よくわからんかった。いや、決して分からないわけではないが、いやよくわからなかった。でもそのわからなさを構成している少女の衣装や演出の仕方は、どちらかといえば好き。
次、夫を殺して食べようとする女。個人的な話をすると私は現実でここまでではないが、いわゆる愛の重い、メンヘラの皆さんの知り合いがまあまあ居たり、それなりに痛い目にあっているのだが解像度がたけえ~と思って見ていた。というかこの妻の描き方が非常にいいな…と思った。大体のメンヘラを知っている人が思い浮かべそうな病んでる愛の重い女である。王道をいく感じさえする。これは落語をやっていたころの思い出だが、王道というかベタなキャラクターを演じるのは時として勇気がいる。王道すぎると演じている側がこっぱずかしくなってきてしまうのだ。しかしながらそういうところがなく、カミソリのような冷やっこさを感じながら「コエーーーー」と思って純粋にはまり込んで観劇できた。これはすごいと思う。そして旦那は本音の旦那と建て前の旦那を二人二役で演じ分けるのだが建て前の旦那を演じていたのが友人(友人は2人出演しておりそのうちの1人)だったわけだが、常日頃を知っているのでこんなハマり役あるんですね!???と思って見ていた。これは芝居を見た人が読んだら「ディスっとるやん!」と思うかもしれないがそんなことはない。褒めている。本当によかった。
前後したような気がするがスモークオンザウォーターをギター弾きながらやってくる二人のおじさん。地球の滅亡を目前に軽い。そしてスモークオンザウォーターのギターが絶妙にヘタですごく良い。ここでバチッとキマったアコギのスモークオンザウォーターなんか聴かされたらたまったもんではないが、めちゃくちゃ左京区辺りの飲み屋にいそうな一癖ありそうなギターおじさん二人組のヘタなスモークオンザウォーターなのだ。その一癖ありそうなギターおじさんが地球最後の日を受け止めて、「そっか終わるのかあ」みたいな様子でひょっこり出てきて旅路を急ぐ圭子に「ぼくたちみたいな人間に声をかけちゃいけない。あぶないよ」とまで忠告するのだ。お前らただの良い人やんけ。たぶん地球最後のそのときまで彼らは好きな曲をつま弾くんだろうな…と思ったら泣けた。凄くいい味出してた。
ほんで妊娠している女。個人的にはこの演者さんがいちばんうめえんじゃねえか…?と思った。存在とかせりふすべてに「ああ、居そう」というところがあり、それでいて見終わってから「いや居ねえな」というちゃんと芝居をしていたと思う。その旦那も好きなのだがもっと間が抜けてても良いと思った。でも好き。
そして圭子である。途中で着替えて晴れ着になって朗に会いに行く。そして出会う。途中で明かされているが、朗は重病で余命幾ばくもない。正直ラストの会話はまるきり覚えてない。なんというか自分がハッピーエンド原理主義者なので朗に会えるのかどうかが気がかりで見続けたため正直どうでも良くなってた。申し訳ない。気になる人は読んでくれ。
ただ最後に引っかかっているのはエンドが朗と圭子が並んで仲良く終わっていくわけだが、個人的な欲を言えば強烈な白色光に飲み込まれる的、「アッッ隕石落ちたんや」的な演出が欲しかった。そこまで描くとくどいかもしれない。くどいかもしれないけどおれは「隕石落ちるで」って言われると落ちるとこまで見届けんと気が済まないのだ。拳銃は出てきたら発射されなアカンいうてチェーホフのおっさんも言うとったやん!とはいえそれは瑣末なことで、朗と圭子は再会して、そして最期の時を過ごしたのだろう。
見終わってから全編出てくる登場人物は狂っているのに全く狂いを感じさせなかったところがすげえよな、と思った。というか狂うと言っているのは、現実の世界の、明日も仕事なり学校なり、デートの予定とか、呑み会とかそういう「日常」を生きている人間の目から観て狂っている人間たちと評しているだけで、物語のなかのかれらは全員が狂っている。狂っている方が多いから正気を保ち続けた圭子と観客がじつは本当に狂ってたのかもなあ、と思うなどした。
とまれ、見終わった後は妙に爽やかで観る前の期待を遥かに超えて「いや~良いものを観させて頂きました…」の心境であった。最高。以上感想でした。