雪のち桜【お母さん、ごめんね】
「しばらく、こっちにいるから」
「宿はどうするの?」
「カナのアパートに住むから大丈夫」
「そっか、でも学生アパートだから、いきなり、おばさん住み始めたら周りがびっくりするよ」
「大丈夫よ。ちゃんと大家さんに言っとくから。来週にはお父さんも会いに来るから。実家に帰ると言っても、手続きとか色々あると思うし、今すぐに移動するのは体にも負担かかるでしょ。しばらくは、お母さんもこっちに住むよ」
「ふふ、久しぶりの独り暮らし。ちょっと楽しみだったりするんだから」
笑顔で話す母は、温かかった。
☆
母は、昼間にやってきた。
本を買ってきてくれたり、洗濯物を取り替えてくれた。
アパートの部屋も、掃除をしてくれたらしく、「汚い!」と怒られた。
昼間の面会時間に来る母と、彼氏のケイくんの来る時間が一緒にならないか、内心ドキドキしていた。
母にケイくんの話は沢山していたけれど、会うのは初めて。
こんな場所での、ごあいさつって……
ため息が出てしまう。
ケイくんは、夜に来てくれていた。面会時間ギリギリまでいてくれて帰っていく。
忙しいだろうに、私のために時間を作って来てくれて、申し訳なかった。
でも、嬉しかった。陽が沈んでいく時間が待ち遠しかった。
10日くらいは、お互い面会時間が重なることはなかった。
けど、
ついにその日は、やってきた。
日曜日の昼間に、ケイくんがやってきた。
面会室で、話していると、母もやってきた。
ご対面。
「はじめまして」から始まり、お互いが、「お世話になっています。こちらこそ」のやり取り。
そして、母がしきりに頭を下げだした。
「ありがとうございます。カナのこと、本当にありがとうございます。ほんと、こんな病気をしちゃって、ケイくんも大変だったよね。ごめんね。こんなカナのそばにいてくれて、ありがとうね」
ケイくんは、「いえ、いえ」と笑顔で答えていた。
そんな母の口調に、私は気がついてしまった。
『今まで本当にありがとう。この先は親が面倒をみるから、大丈夫です』って意味が込められていることに。
『ちょっと待って!』と心のなかで叫んでいた。
帰ると決めていたはずだったのに、いつのまにか、何とかこの場所に留まりたいと思うようになっていた。
ごめん。お母さん。
無理だよ。ケイくんと別れるなんて、私には無理だよ。
ケイくんがいなければ、私、生きていけないよ。
☆
その後しばらくは、二人が出会うことはなかった。
父は、次の日曜日に来てくれたけど、仕事が忙しいらしく、私の顔を見てすぐに帰って行った。
帰る、帰らない、これから。
答えを出せない、未来を見れない日々が、私の心を蝕んでいった。
堕ちるとこまで堕ちていた。
でもこの時、私は自分で自分がおかしいと気がついていなかったんだ。
今思い出しても、あまりにも酷い心模様。
頭のなかを、ぐるぐるとメチャクチャな思考が巡り、止まらなかった。
絶食で体は痩せ、薬の副作用で顔は腫れ、肌はぼろぼろ。
病気で遊ぶこともできない。誰が、こんな女と付き合うっていうの?
ううん。大丈夫よ。
愛があれば、すべて乗り越えれるはず。
こんなに苦しくても、帰りたくないと思うほど彼のことを好きなんだから、彼も私のことを好きなら、どんな私でも一緒にいたいと思うはず。
彼は、私のもの。
誰にも渡さない。
別れない。
彼も同じ気持ちのはずよ。
私のためなら何でもしてくれるはず。
恋愛ドラマ。
逃避行……
別れさせない……
いつものように、ケイくんがお見舞いに来てくれた。
この日と決めていた……
彼が私の隣に座った瞬間、手を握り、真っ直ぐに目を見た。
そして、自分でも分かるくらい震えた声で、言った。言ってしまった。
「ねぇ、抱いてよ」
つづく。
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