見出し画像

おとなという名の悲しい生き物

おとなになると言うことはとても悲しい事だと思う。
いや、言い変えよう、おとなという生き物はとても悲しい生き物だと思う。

ある時、ふと気づくのだ。
 
どんなに大人になって身体が成長し、あるいはどこかからピークをすぎて例えば下り坂になってきたとしても、自分の中に絶対に成長しない子供の領域が存在することに

自分の中に内なる子供の私がいる。
わがままで子供で、泣き虫で、テキトーで
だらしなくて、その癖夢見がちで
いつまでもお姫様で、めんどくさい子供時代の
私がいる。

おそらくほとんどの大人の中にこの内なる子供の自分がいる事だと思う。

それにある時気づくのだ。

しかし、子供が子供のままならばなんの問題もない。若者ならばそれも問題はない。

しかし、世の中はある時を境に人に大人という
肩書きを絶対拒否など出来ない形で装備を
させてくる。

外すことの出来ない装備。

呪いの鎧かよ。

有無も言わせず装備させられた大人たちは
大人の振る舞いという名のスキルを身につけなければならない。この呪いの鎧……じゃない
もはや通常装備されたこのおとなのよろいは
おとなのふるまいという名のスキルを発動させる。

私は子供を産んだことがないので未知だけれど
親となる人たちはさらにここに親の剣を持ち
社会人の靴を履き、なんなら課長の頭飾りだの
部長のマントだの、上司の盾だの、装備しなければならない。

泣くことも弱音を吐くことも、感情的に怒ることすらも出来ない、大人のしてのふるまいをする。

そしてそれは、できる
もちろんできる 
何故なら、当たり前に大人のしてちゃんと大人になっている部分があるからだ。

だけど、内なる子供の自分がいて
たまにこれが暴れたがる

泣きたい、逃げたい、投げ出したい
放り出したい

対人関係でも恋愛でもそうだ
泣いたらいけない、逃げたらいけない
わがままを言ってはいけない
怒ってはいけない
落ち込んではいけない

大人なんだから
大人として
大人のふるまいを
大人がなにを馬鹿なことを
 
私は、俺は大人なんだから
大人なんだから、大人なんだから

何度も何度も呟く呪文  

大人であらねばならない
大人として居なければならない
大人としてのふるまい
大人としての自分

内なる子供の自分と泣きながら戦わなければ
いけないし、絶対勝たなければいけない

負けるわけにはいかない

ねじ伏せて閉じ込めて、諭して
勝たなければいけない

世間が周りが許してはくれない 
だっておとななんだから
自分だってかつては大人に大人を
求めてきたじゃないか
その時大人たちはしっかりと大人を
演じていたじゃないか

だからやらなければならない 
大人として、大人として……

大人はこの世におそらく存在しない
大人のふるまいを覚えた子供がいるだけだ

大人という常識を弁えた子供がいるだけだ

大人を演じている子供がいるだけだ

そのくらい大人とは大人になりきれない
生き物だ

矛盾と葛藤と建前と立場をぐちゃぐちゃに
混ぜながら、泣きながら
毎日戦う悲しい生き物だ

だけどそれでもいい

誰かのために生きているからできる
守るものが増えたからできる
大切なもののために演じられる

自分などいくらでも押し殺せる
それもまた大人のスキルなのだ

まぁ悲しいけどさ

大人になると我慢強くなるのだ
表面上は。 

大丈夫泣いても死ぬことはない
ムリをしてもこのくらいならやれる
そういう経験値はやたらと増えてゆく

いいんだそれが大人なのだ

今日もまた内なる子供の自分と戦う
絶対に負けられない
負けるわけにはいかない

そう今日も私は勝つ
悪いね子供の私

だからこそ、誰にでも心許せる場所が
必要なのだ。1人でも2人でもいいけれど
そういう安息の場所が必要なのだ。

そんな大人の同士たちよ
全ての同士にそんな
心許せる場所があらんことを



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?