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朝夜日記 2024


はじめに

2024年1月に上演された朗読劇『朝彦と夜彦1987』を全公演観劇したため、公演ごとに書いていた感想メモを備忘録としてここに残しておきます。

ここにあるのはすべてわたし個人が感じたこと・考えたことであり、もし同じ公演を観ていて違う感想を抱いたという人がいてもどうかお気になさらないようお願いします。人には人の朝夜。

2024/01/09 19:00 D

桑野晃輔さんと加藤ひろたかさん。

いつも超ロングスリーパー超グッドスリープなのに朝夜初日の前夜だけ突然まったく眠れなくなるのis何。いつも通りお布団入っても寝られなくて、睡眠時間2時間で臨んだ朝夜でした。もちろんミルククラウンや雪の結晶を消してみたけど無理だった。てかこのミルククラウンと雪の結晶、マジで意味無いらしいね。前回の時にフォロワーが言ってました。
今日の朝彦と夜彦、住む世界に乖離がありすぎて見ててめちゃくちゃしんどかった。
朝彦は夜彦のこと心配してるし出来ることなら助けてやりたいと本気で思ってるんだけど、伸ばした手が夜彦の身体をすべて通り抜けていく感じがした。
今と過去の夜彦の演じ分けがとても顕著で、現在に出てくる夜彦は朝彦が思い描いた夜彦すぎる。別物。別物なのにどこか地続きでその加減がすごい。
過去の夜彦はたぶんそんなに朝彦のことが見えてないように思えた。誤解を恐れずに言うと、助けてくれるのは朝彦ではなくても誰でもよかったのかもしれない。
この夜彦、飛んでるぜ。と思うんだけど朝夜ソムリエの皆様はどない?(?)しかも、朝彦が来てたら飛ばなかった。朝彦が来なかったから飛んでしまった。そんな夜彦だった。
朝彦はどうなんだろうな、これ回によっては最後夜彦の幽霊(もしくは幻覚)に呼ばれて朝彦も飛ぶっていうパターンも確かあったと思うんだけど、本当に限界の限界まで来てて(アフトでも朝彦は夜彦に引っ張られて逆に朝彦が躁鬱になってるって話あったね)、限界だから幻覚の夜彦を創り出してしまって、でも幻覚の夜彦に頼むよ子供に絶望の朝を与えてくれるなよと諭されて飛ぶのをやめた……ように見えた。
技術ある人が演じるとこうなるんだなぁ。演劇に正解はないけど、「正解の朝彦と夜彦」を見せられた感覚。
前回はなかったアフト。一番の収穫は中屋敷さんに「朝彦と夜彦を入れ替えてやってみよう!」の考えがあったということ!融けてどっちがどっちが分からなくなりそう(ここの表現あいまいにしか覚えてないごめん)だもんなぁ……とのことですがどうか入れ替え公演をやって下さい……あと桑野さんの夜彦もやってください……欲を言うなら2020で夜彦だった稲垣さんの朝彦も見たいです……強欲でごめんなさい……。

2024/01/10 19:00 A

平野良さんと村田充さん。
知らない朝彦と知らない夜彦がいた。こんなに相互不理解な朝彦と夜彦があるんだ……ある意味ショッキングだったかも。
多分この17歳朝彦、夜彦のことぜんぜん分かってない。分かってないし、夜彦が父親のことを話すまで夜彦のことをちょっと鬱陶しい奴くらいにしか思ってない。なんなら飛んではじめて「え、こいつってもしかして俺にとって大事な奴だったのかも……なんでもっと構ってやらなかったんだろう」となっていそう。怖い。この朝彦のことがわたしは心底怖いです。
今まで見た朝彦って多少の差はあれどだいたいちょっと面倒見がよくて良い奴で器用貧乏、みたいなのばっかりだったから余計にこわい。もう怖いしか言えないんですよ。
夜彦が理解できない朝彦だから、回想の夜彦と亡霊の夜彦の差異がとっても希薄。ずっと淡々としてる。おどけてる時、躁の時もなんか悲壮感があるというか、躁の最大値もどこか低めで躁鬱じゃなくて鬱なんじゃないかと思った。そりゃ話聞けよって朝彦に怒鳴るよ。あんたにはその権利がある(?)
あ、いいなー。って思ったのが、30歳の朝彦に幻覚夜彦がなぜあの時来なかった?と問いただしているシーン。あそこ前後に並んでしかも夜彦が後ろ向いてて、夜彦が何を思ってるのか旭子と同じように物理的に客席にも分からないようになってるの。
今回、朝彦と夜彦あんまり目を合わせなかったなーのイメージ。どちらかがもう片方に顔を向けていることはあるけど、こう通じ合う感じがあまりなくて。それが相互不理解のふたりだと思った原因なのかな?
この夜彦が飛んでるかどうかは正直分からない。でも飛びでもしない限り朝彦が夜彦に目を合わせようとする感じがしないから多分飛んでるんだろうな。さっきも書いたけど、飛んではじめて夜彦のことを真剣に考え始めたって感じがする。飛んだことで夜彦が強烈に朝彦のなかに刻み込まれて、なんであの時もっと向き合ってやらなかったんだろうと後悔した結果が「3人目が生まれる前に罰として自分を苛む幻覚の夜彦が現れた」みたいな。昨日のDの夜彦が出会ったのがAの夜彦じゃなくてよかった……。
アフトの話。わたしは見ながらずっと「え、知らん。こんな朝彦もこんな夜彦も全然知らん。はじめましてや」と思っていて、いやいやそんな事あるかよ……と実は不安だったんですが、中屋敷さん的にもこの朝彦・夜彦は異色だったようで。正直観終わってすぐにその答え合わせが出来てほっとしました。あってよかったアフタートーク。
2公演目にして真逆の朝夜を見てしまって、明日はどんな2人になるんだろう。楽しみなような怖いような。いや、きっと楽しみです。どんなふたりの物語も受け止める心の準備は出来ています。


2024/01/11 19:00 C

荒井敦史さんと健人さん。
めちゃめちゃ相思相愛朝夜だった!!
AもDもすれ違い通信してたから今回は相思相愛朝夜は見れないのかと思ってた。見れたよ!!
まずね、開始してすぐの朝彦が夜彦を語るシーン、そこの朝彦の表情!とても楽しそう!もうそれだけで、ああこの朝彦は心の底から夜彦っていう存在がとても大切だったんだなあと分かる。ずっとそう。最初だけじゃなくて、最後まで夜彦、大事!という感じで。そりゃもちろん会ってすぐのところはちょっと距離はあるけれど、ちゃんと夜彦と向き合って寄り添った朝彦だった。こんなにも「倫理はいいが、思いやりは大事だ」の台詞が響くペアもそうそういない。相手のことをよく見ている。目を合わせようと努力する。そういう思いやりのあるペアだった。
夜彦のほうも朝彦にとても懐いていた。「朝彦、お前だけが頼りだ」のところの嬉しそうな顔……!愛嬌があって、かわいくて、とても弱そうで、でも強い子だと思った。朝彦がちゃんと向き合ってくれたからこそ夜彦のほうも朝彦に心を開いて本当のことをはなしてくれたんだなって。あの時来てくれなかった朝彦のことを恨むけど、だからといって朝彦やその子供を飛ばせるほど憎んではいない。
相思相愛朝夜ってものすごく辛いんですよ。朝彦は夜彦のことを助けてやりたいのに「朝と夜は見えるものがまるでちがう」から真に夜彦を理解しあうことはできない。アフトで中屋敷さんが「この2人は愚かだ」って言っていたけどまさにそう。お互いが大事で、ド田舎の進学校の男子校で、偏差値が60を割ると落ち込んで、そういうティーンズならではの全能感をもった男の子が、その全能感をもってしても解決できないことがあるのだと挫折するふたりの話だった。
どちらも飛んでない。夜彦は熱射病で倒れて入退院を繰り返して「普通」を手にすることができたし、朝彦も夜彦のことを思い出しはするけれど愚かな十七の思い出として消化出来ているから三十になってなお夜を知らずにいられる。「朝と夜ではまるで違うものが見える」けれど、そんな親友がいたっていいじゃないかと思えるエンディングだった。


2024/01/12 13:00 B

正木郁さんと溝口琢矢さん。
こんなに息の合う朝彦と夜彦は初めて見た!
関係値をどんな言葉でも語り得ない、まさに「なにか」な2人だった
この朗読劇、2つほどふたりが同時に喋るセリフがあるんだけど、ここの息がぴったり合って綺麗にハモるのって結構難しい。それなのに2回ともちゃんと合ってて驚いた。
それと台詞の掛け合いの間のとり方、空気の作り方にひとつもズレがなかった。相手の台詞を受けていちばん呼吸の合うタイミングで返すから聞いていてとても気持ちがいい。
朝彦は夜彦のことを、夜彦は朝彦のことを理解できないはずなのに、まるで元々ふたりがひとつのものであったかのような感覚になった。自分の持っていないものを理解することで相手のことを理解しているようなふたり。
ほかのグループの感想では「こういう朝彦でした」「こういう夜彦でした」というような感想の書き方をしたけれど、このふたりにおいてはそれができない。なぜならふたりでひとつだから。朝彦を語れば夜彦を語ることになる、逆も然りである。
飛んでいるかどうか問題についても、もはや現実世界の事実を切り取るような書き方はできない。あの日、8月31日に夜彦の肉体がどうなったかはもはやこのペアにはどうでもいいことだ。2年の夏休みの最終日、死んだのは夜彦の希死念慮だ。もしかしたら夜彦は熱射病で倒れて校舎から落ちて、それでも奇跡的に木に引っかかったかなにかでたすかって、それを朝彦が病院に運び込んで……という流れがあったのではないか、と二次創作をはじめてしまいそうになる。あの二人は出会うべくして出会い、互いを補いあい、その結果として夜彦は普通の小さな希望を手にしたのだと思う。だから30の朝彦は夜彦を思い出して死のうとは思わない。17の夏以降ふたりがどのような関係でいたのかは分からないけれど、近くにいても、遠くにいてさえ、きっと相手の存在によって健やかに30まで生きたのだ。
アフトでの溝口さんと正木さんの賑やかな会話を見て、なんとなくそんな気がした。この2人だから、ふざけあえるほどの距離感だから生まれ得た朝彦と夜彦を見たように思う。


2024/01/12 16:00 A

平野良さんと村田充さん。
2週目だから感想文も短くなるぞ!
1回目に観た時の感想でひたすら怖い怖いと書いたんだけど、じゃあなんでこんなに怖いと思ったのか?というのを主軸に置いて観劇した。
一応結論としては、「なんでこんなに夜彦に対しての感情が薄そう(当社比)な朝彦が夜彦のために一緒に死のうと提案したのか」が理解できないからだなぁと思ったからだ。
村田さんの夜彦って淡々としていて、時折り激昂して……という亡霊のような夜彦なんだけど、平野さんの朝彦がどうしてもその夜彦とあの日約束をしたにも関わらず(結果的に)約束を破ってしまいその結果夜彦が死んでしまったからずっと後悔しているように見えて。じゃあなんでそもそも約束したんだよっていうのがずっと分からないんです。最後まで距離を保ってたように見えたから。夜彦に近づくのを怖がっているようにも見えたから。
うーん、これ3回目で理解できるかなあ。


2024/01/12 19:00 B

正木郁さんと溝口琢矢さん。
お昼と変わった……!お昼は形而上の朝彦と夜彦って感じだったけど夜は人間の朝彦と夜彦が見えた。
夜彦の感情の発露がより大きくなっていて、呼応するように朝彦も感情をぶつけている。演者同士の信頼が見れてすごくよかった。
見てる席が昼より前だからより鮮明に表情も伝わってくるし、感情型グループみたいだからこれからののこり2公演でどう変えてくるか、どう変化があるかより楽しみになった。

2024/01/13 12:00 A 千秋楽

平野良さんと村田充さん。
Aグループの千秋楽公演。
大切な友達を招待して観劇した。朝夜は「大切な人と一緒に観劇」することを推奨している朗読劇だから。

前の2回がとても緻密に計算され尽くしたものだったので、てっきり千秋楽もそれを崩さずに来るのかと思った。大誤算だった。
最後だからだろうか?その計算に感情が乗っていた。千秋楽スペシャルだ。
クライマックスに近づくにつれ、どんどん緊迫していく。会場全体が息をのむ。ふたりの結末を見守らなければならない、見逃してはいけない、と思った。
ずっとこの朝彦のことが分からなかった。でもちゃんと理解出来た。この朝彦なりの答えを出した。3をつけて茶を濁さずに、最後の最後で夜彦に向き合った。だからこそ生まれた千秋楽だったように思う。

2024/01/13 15:00 D 千秋楽

桑野晃輔さんと加藤ひろたかさん。
初日ぶりで千秋楽のDグループ。
この回も大切な友達と観劇した。
Dの夜彦はわたしが3年間囚われている2020A夜彦、稲垣さんの夜彦に少し似ているな、と思う。人間離れしているというか、人外味があるというか……。
2020Aと違うところは2024Dの夜彦にはもうちょっと鈍感ではない朝彦がいるということだ。鈍感ではないかわりにすごく芯の強い朝彦が。
人外の夜彦に立ち向かい(向き合うというより立ち向かうという言葉が似合う朝彦だ)、真正面から向き合い、手を取り合うさまを見た。
たった2回の公演だったけれど、ほかとは違う、このふたりだけの世界を見られて本当によかった。


2024/01/13 18:00 C

荒井敦史さんと健人さん。
これの前に2公演連続で友達を呼んでいたので、またひとりで朝夜を見るのはひどく怖かった。やっぱりこの作品は誰かと見るのがいいと思う。
特にこのCグループというのはそれをよく感じるふたりなのだ。自分ではない誰かを理解しようと努めること、その人間的営みの尊さを感じられるグループだから。
繰り返しになるかもしれないが、夜彦を語る朝彦の表情の柔らかさが大好き。結末を知っているから、夜彦はこの朝彦に出会えて本当に良かったね、という気持ちになる。
自死を図ったことはない(極度のビビりなので)し親がいないわけでもないが、わたしは2020年まで心にずっと例の言葉を飼っていた。だから朝夜を見る時はわりと夜彦に感情移入して見ることが多いし、多分無意識のうちに演技を見る回数も夜彦のほうが多くなっていると思う。けれど、このグループは朝彦を見ていることが多かった。ああきっと、わたしはこの夜彦のことが羨ましいんだ。こんな、13年後に穏やかな表情で懐かしそうに自分との思い出を語ってくれるような親友がいる、夜彦のことが。
もしかしたら過去のわたしを抱きしめるためにわたしは朝夜に通ってしまうのかもしれない。

2024/01/14 12:00 B

正木郁さんと溝口琢矢さん。
少しずつ、けれど確実に加速していくふたり。何が加速しているのかは分からない。感情?演技?呼応?とにかく、加速している、と感じた。
加速して行き着く先を見て見たいとも思うし、見るのが怖いとも思う。
Aの千秋楽に来てくれた友達をもう一度招待した。Aは異質すぎるから、頼むからこっちも見てくれと頭を下げた。テキストを貸して、ふたりの背景を軽く説明して。二度も見てくれる友達がいることをわたしは誇りに思う。


2024/01/14 15:00 C 千秋楽

荒井敦史さんと健人さん。
最後までずっとこのふたりは優しくて柔らかい朝日と夜彦だった。そんなふたりの行く末を共に見守ったのは、今回呼んだ友達の中でもっとも付き合いが長い人だった。
大人になってからできた友達が多い中で唯一彼女とは放課後を過ごしたことがある。ほとんど同じ授業をとっていた大学時代、彼女が所属していたサークルの活動が始まるまでの80分間。これがわたしと彼女にとっての放課後だった。
2020年の朝夜が終わってからすこし経ったある日、彼女とわたしは同じタイミングで別々に喪失を知った。だからこの80分間は3年越しの答え合わせをしている感覚だった。
まったく違う思考回路を持つ別人、だけど私たちは互いを思いやることができる。決して大きな声を出さずとも、しんしんと降り積もる雪のように丁寧に言葉を重ねていくことで得られる感動もある。
夜彦がいちばん最後に朝彦を呼ぶ台詞。17歳だった。17歳の夜彦に、30歳の朝彦に、そしてあの場にいたすべての人に、せめて死が悲しみをもたさすことのないよう、そんな祈りを感じる結末だった。


2024/01/14 18:00 B 千秋楽

正木郁さんと溝口琢矢さん。
12時公演で加速している、と感じたふたり。千秋楽ではふたりの境界が融解した、と思った。
朝彦は夜彦であり、夜彦は朝彦。あまりにもふたりの呼吸がおなじなので、もしかしたら最初から朝彦と夜彦は同じ人間で、二重人格なのではないか、と。
大千秋楽は3年前共に稲垣さんの夜彦を目撃した元同担で同い年で大切な友達という名の「なにか」の彼女を呼んだ。目の前にいるのは溝口さんの夜彦なのに、どうしても脳内で稲垣さんの夜彦の声が聞こえる、と彼女は言った。今回私は全通したけれど、実はわたしもまだかすかに稲垣さんの夜彦の声が聞こえるのだ。
そう、その3年前にも確かに思った。「朝彦と夜彦は同一人物の別人格なのではないか?」と。
2020Aと2024Bはまったく違う。まず夜彦はちゃんと人間だし朝彦は鈍感ではないし朝彦の3番目の子供は夜彦の生まれ変わりではない(朝彦の3番目の子供は夜彦の生まれ変わり説あったよね!?という話で観劇後盛り上がった)。
それなのに同じ結論に至るというのがとても不思議で、でもその不思議さがまた心地よくて。
朝彦にも夜彦にも父親がいない。いや、朝彦の父親の有無については正確には描写されていないんだけど、「一人で四人の子供を育てる母親」という表現を素直に受け取るならば朝彦の父親がいない可能性も十分に考えられる。父親がなんらかの理由で亡くなって、そこから逃避するために夜彦を生み出した……というのも一応あり得るのだ。
もしそうだとしたら、これは朝彦の救済の物語だと言えるだろう。
3年前、わたしは夜彦のことばかり見ていた。それはそうだ、だって当時の私は夜彦役の稲垣さんのファンをしていたのだから。
そこから3年が経ったいま、わたしはこの作品を見たいという純粋な観劇欲だけでさくらホールに来ている。朝彦と夜彦を同じだけの熱量で見つめている。
3年越しに、わたしは朝彦のために泣いた。それがなんだかとてもうれしくて、ああ、これだから私は朝彦と夜彦1987という作品に焦がれてしまうんだな、と思った。

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