買ってない宝くじの当落で一喜一憂するな
前にも少し書いたことだけれど、ライブなどでオタクが一生懸命ペンライトを振っているところを見るのが好きだ。正直言えばライブ本編と同じくらいオタクのペンライトを見ているし、レギュレーションなんかなくなってしまえと思う。
先日、大閃光持ち込み可のライブに行った。界隈にもよるだろうが、今時大閃光の持ち込みを禁止していないライブというのはわりと珍しいと思う。少なくとも自分のまわりでは初めて聞いた。
このライブがまためちゃめちゃ面白かったんだ。オタク各々が好きな演者の歌唱シーンでサイリウムをボキボキ折ってビカビカさせながらグルグルと回しているのだ。当然人気な人の出番ではものすごい量の大閃光が焚かれる。その光景が面白くてちょっと笑っちゃってる演者もいる始末だ。
もうね、ここまで来たら愛ですよ。これは「あなたのことが好きだぞーっ!」っていうのを伝える手段なんです。だって、レギュレーション的にはOKとはいえ今時珍しい大閃光、もしかしたらほかのオタクに文句を言われるかもしれないし、その場でなにもなくても後から陰湿なオタクにSNSでネチネチ学級会を開かれる可能性もある(それでどんどんレギュレーションが厳しくなってしまった界限も知っている)。
そんなリスクを承知で打たれる覚悟で出る杭になるオタクたちのことを私は愛おしく思う。これは「ほかでもないあなたのことを一番だと思って応援している人がいますよ」の意思表示なんだ。そんないじらしく可愛い人に対して、演者はそれなりのことをして報いてあげてほしいと思う。え、回りくどいって?ならばはっきりと書こう、そんな可愛いファンにはファンサせえ。
その時はうちわは持てないライブだったけど、私は同じことをうちわに対しても思っている。なので「恥ずかしくてうちわなんて持てない。もし仮に持ったとしてファンサをもらえなかったら恥ずかしい。でもうちわを持ってファンサをもらっている同担をうらやましいとも思う」みたいな意見を見かけるとバカモーン!!(cv大原部長)(古いね)と思うわけです。
そもそもうちわを持ってすらいないオタクがなーにをうらやましいだのはずかしいだの一丁前に言ってるんだ。勝負の土俵に立ってすらいない。そういうのは座席・ペンラ・うちわ等すべての準備を万全にしたのに何度も干されている人間の言葉だ。
言うなれば宝くじを買ってもいないのに宝くじの当落を気にしているようなものだ。世の中にこれほど滑稽なものがあるだろうか?この人は宝くじを買っていない。買っていないのならば当然当たることはない。それなのに宝くじを買うというリスク(=金銭的負担)を背負った上で宝くじを当てた人のことを羨ましいと言う。
あるいは、宝くじを買わなければ当然外れることもない。それなのに外れたらどうしよう、と言うのだ。わけが分からないだろう?しかしこれをライブのうちわやペンライトに置き換えると往々にしてこういう意見を見かけるのである。
宝くじを買って頑張る人を私は応援したいし、買ってもいないのに当落を気にする人はうざい。そんなお気持ちの文章でした(完)
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