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夏と秋の美学とパッケージ展


前にも書いた通り、病院シーズン到来なので、病院に9月に受けた検査の結果を聞きに行く。まあ、ちょっとあるけど、『あるなー』と心に留めつつ暮らせ、ぐらいとのこと。そうする。
『1年に1回ぐらい検査をしてー』というので『えー!やだー!』と心の中で言うが、口からは『はい!』と元気な返事が出ていたので、何事もなく、そこでお開きとなり支払いを素早く完了し、時間が余った。

比較的近くて今行っておいたほうがいい(会期が終わるかも)所ーということで根津美術館へ行くことにした。今は『夏と秋の美学』という展覧会をしている。10月半ばまで。

所蔵品展示で、屏風や襖絵が多く出ていた。何度も見たことがある物が多くて、あれも好きだな、これも好きだなと思いながら見る。こういう特集も落ち着いていていいなと思う。

初めは夏の展示。夏は子供の頃から苦手だけれど、こうして過ぎ去ってしまった今のような時期に距離を置けば夏も美しく思えるのかもしれないと思う。昔は温暖化もしてないし。絵の中の涼を求める人の絵も涼し気だ。
夏はこんなに温暖化がひどくなる前は、そういえば緑が勢いづく季節でもあったなと思う。夏の緑の勢いも好みではないけれど、展示されている絵の中の草花や景色は可憐であったり、大胆な景色であったりして美しい。

毎年人気の鈴木其一の夏の屏風も展示があった。酒井抱一が好きなので、その流れで後に続いた人の中ではこの人の絵が好きだけれど、この屏風ははじめは苦手だった。
見ているうちに近代的で勢いがまさに夏という絵でいいなと思うようになった。

所蔵品の中で障壁画以外で気に入っている絵もいくつか見ることができた。ニ羽のツバメが風に遊んでいる柳燕図。夏になると出ることが多い絵だ。
秋からは粟の垂れ下がる中に鶉がいる粟鶉図。この絵のどこかそんなに好きなのか自分でもよくわからないけれど、バランスがすきなのだと思う。全体のトーン、垂れ下がる粟の白さと量感。下につと姿を表している鶉のふっくらした小さな体。地味だけれど可愛らしく美しい鳥。

そのほかにも夏の絵も秋の絵も見ていて楽しいものが多い。今回夏で結構いいなと思うものが多かった。高尾太夫の絵もいいし、夕映の中、橋の近くに蝙蝠が飛び交う掛け軸もほんのりとした夏の夕べの雰囲気が出ていてとてもいい。

いつもの伊年印の屏風など優品の揃う根津美術館らしい夏と秋の展示だ。

武蔵野図屏風もどーんとでていた。草ばかりぼうぼうと生える武蔵野。草がざーっと生えて

日が沈み、月が上がっていく。というところが武蔵野なんだな。と思う絵。必ず草は風になびいているのだ。

割合いつも楽しみにしているお茶展示は名残の茶でまだ風呂の展示だった。水指と建水が涼しげだ。名残の茶は繕ったものや手慣れたものを出すものなのだそうだ。手慣れて使い慣れたもの、繕ってあるような使い込んだ、使い疲れた、やつれたものといった風情が名残の気分なのだろうか。

ホールの展示も展示が変わっていて、可愛いようにも見える観音菩薩がいくつか。素敵な姿だった。

夕方赤坂に用事があるので移動ついでに虎屋ギャラリーで開催中のパッケージ展へ。
虎屋の虎手提げや掛け紙も時代によって変化している。以前にも見た事があるのだけれど、昔の竹に虎のデザインはすごくかっこいい、いい掛け紙だなあと思う。あれ、もう一度復活しないかなあ。ポストカードになってたけれど。

お菓子を運ぶ、お得意さん用の箱、お通いの箱や、ひな祭りのお菓子で紙箱で表現されている雛井籠や、元々の本物の井籠とか。それに展示菓子もありました。しかも巨大な。展示されてあるお菓子、いつもの3倍ぐらいの大きさでイゲタに仕切った箱に入ってました。いっぱい。静かに興奮。あの菓子もこの菓子も知ってるー!と。
なんだか知ってる!って興奮しませんか。わたしはします。例えば、テレビで書写山出るたびに、『行ったことある!』と毎回立ち上がってます。(行ったことがあるのです。いいとこです。お勧め)。
というわけで、展示菓子の前でも『知ってる!』と立ち尽くしたり雛井籠の模型の前でも『知ってる!そして買ってる!』と思ったりしてました。

お雛様の特別な箱入りのも、ちょっとデザインを変えてミニチュアにしてお雛様の季節に販売されていたものを思い出しました。お菓子のパッケージはやっぱり特別に心入れがあるものが好き。小さい展示室ながら、見どころいっぱいの展示でした。

この日はこの後稽古があったので、少し茶寮で休憩して稽古に行きました。
写真は茶寮でとった織部饅。秋です。

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