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在ったかたまりをおもう

息子と檸檬水晶の育成キットを育てている。説明書通りに溶液につけたまま放置し、既に10日以上が経過した。本来は1週間程度が引き上げ時らしいけれど、作業の際に溶液が入ったカップの淵に檸檬水晶の素とあった粉(ケイ酸?)が付着していたらしく、それが日を経つごとに雪の結晶のような橙色の帽子をにょきにょき生やし始めた。溶液に浸かっている水晶本体の先っぽにも生えてきたのがまた愛しく、もう少し成長しそうなので取り出さずに観察している。

自然の水晶や鉱物は壮大な時間をかけて造られるもので、成長の過程をこんな風に見守ることなんて普段はできない。本来は地中深くひっそりと、いくつかの偶然の条件と化合物などが作用して生まれるものなのだろうから。

我が家の水晶は、直射日光が当たらないという条件を満たしていることで、ダイニングテーブルの角という環境を与えられた。小さなカップの中で、わずか10日ばかりで立派に形成されてきた我が家の水晶を見ていると、悠久の時間をかけて未だ人間に見つけられる事なく、地中深くひっそりと成長を続けている水晶のことを空想する。そしてもう一つ。私の身体で知らずに育てていた、あるモノのことを思い出す。

***

もう何年も前の話だが、ある偶然が重なって自分の首の付け根に卵型の腫瘍があるという事がわかった。(私には全く自覚症状はない。)突然のことでよく状況もわからないまま検査を終えた。
結果の説明を受けた日。初めて見る自分の輪切り画像の方が珍しくて、他人事みたいにして医師の前に座っていた。

画像を何枚か見ていくと、素人目にも確かに異質だと分かる楕円形の白い形が姿を現した。医師は私にある病名と、これが10万人に1人の珍しい病気である事を告げた。幸い腫瘍が悪性である割合は低いらしいが、出来ている部位が生命維持に不可欠の延髄に近接し、既に圧迫しはじめている為このまま放置はできないらしい。
医師はパソコンの脇に置いてあったカレンダーを1枚めくって、「この日からが学会だから…」と言って、手術の日取りをするすると決めてしまった。
「とにかく開けてから、悪性かどうか、あと延髄を傷つけずに取り除けるどうかを判断することになります。」

私はぼんやりする頭でその説明を聞いていた。
まだこの人(後の主治医)に会って2度目なのに。
腫瘍とか、悪性とか、生命維持とかなんだかで。このちょっと天パーの目のくりっとしたおじさん(再:後の主治医)に命を預ける事になってしまった。

ぽかんと座っている私に少し焦点をもどして、医師が再び話しはじめた。
「このタイプの腫瘍は、かなり時間をかけてここまで大きくなってきたのだと思います。」
「…時間…。」
「そう。はっきりは言えないけど5年10年ではここまでにならない。20年以上かそれよりもっと前かもしれません。原因は解明できていないのですが、恐らくあなたが子供だった頃から知らずにあなたの中で少しづつ大きくなった。」
「そんな前から…。全く…、分かりませんでした。」
右の手の平で自分の首に触れてみた。いまこの皮膚の下に私は卵型のものを隠している。首は温かく、手はひんやりと冷たかった。

念のため、大きくなるのにそれだけ時間がかかるなら、このまま放置はだめなのかと問うてみたが、答えは勿論NOであった。というよりお勧めされなかった。今の状態であればいずれ自覚症状が現れる。
予兆は突然四肢に力が入らなくなる。もしくは突然の呼吸困難。

「(手術を)お預けにしても、いずれは自覚症状がでる…。」
「そうです。今の大きさのうちに。そして若いうちに取っておいた方がいい。」

その1:放置して、突然呼吸が止まる(かもしれない)
その2:手術をし、腫瘍が悪性で術後に放射線治療を行う。*後遺症付き
その3:手術をし、腫瘍も良性である。*後遺症つき

目の前に3つのオプションが提示されている。
後遺症については医師曰く「どうしても数か所の神経を抜かないといけないので、後頭部に触れた時の感覚が鈍くなる。抜いた神経はもう再生しない。でもそれぐらいで、なんてことはない。」らしい。
そうなのか?再生しないと宣言され、その程度の後遺症ならしかたないと思えるものなんだろうか。
2も3も。手術自体は成功であることが前提である。もし術中に延髄が傷ついた場合、私はもう目覚める事は出来ない。

息子はまだ保育園に通っているぐらいの年齢だ。彼はこの先、どれぐらい私の顔を覚えているのだろうかと考えた。
今朝も大騒ぎしながら朝ご飯を食べさせて、彼を自転車の後ろに乗せて保育園まで一緒に歌をうたいながら走った。仕事を終えて迎えに行くと、どこからでも私を見つけて、全力で走って「ママ~!」と胸にダイブしてくる息子である。
いま当たり前に私を母と認識していても、彼の年齢の記憶は成長と共に書き替えられて、私と暮らした日々は薄れていってしまうのだろうか。
…Iphoneがあってよかったな。
…そうだ、動画を沢山撮っておかないと。
考えると、どんどん冷たくて黒い霧のようなものが胸に押し寄せて来る。
…夫は新しく嫁をもらい、息子はその人をママと呼ぶようになり・・・。

「大丈夫ですか?」
脳内で負の妄想がスパークしている最中である。慌てて医師の顔を見た。
「あの…。それって硬いんですか。何色ですか。」
血迷って訳の分からない質問を始めた私に苦笑しながら、医師は答えた。

「腫瘍のこと?開けてみないと分からないけれど、塊のようではあります。
 顕微鏡みたいなすごい倍率の眼鏡をかけて、歯医者みたいに先端の細ーい術具を使って、少しづつ、少しづつ削って掘りだしていく感じです。」

医師はまるで幼児に説明するように、両手を動かし目を細めながら、神経質そうに何かを削り出す様子をジェスチャーしてみせた。

「発掘。みたいですね。」
「うん。それに近いです。」
「もらえますか?」
「え?」
「取り出したら、それをもらえたりするんですか?」
ころっと取れたりするのかと思ったのだ。手のひらに乗せて眺めてみたい。そうと知らずに何十年も私の中で大きくなった、卵型のかたまりを。

「いやー。言ったように、少しづつ削りだしていくので粉々になってしまうんですよね。だからほとんど、残らないと思います。」
医師は、あきれたような、少し憐れんだような目で私を見て言った。

「おかしな事言ってすいません…。」
小さくなる私の両肩を抱いたのは、医師のそばに居た看護師の女性だった。
恰幅のいい彼女はポンポンと2度背中を叩いて、「大丈夫ですよ。やりましょうね。」と言って笑った。

***

結論から言って、私はオプション「その3」を選択したことになり、こうして平穏な日常をすごせている。
手術は成功したのだった。延髄は傷つかず、かたまりは取り出されたのだ。術後、勢いよく肩を叩かれて麻酔から起こされた。もうろうとしながら目を開けると、まだ緑の術着のままの医師がこちらを覗き込んでいる。幾人かの緑の人たちも代わる代わる私を見ている。
「石灰みたいだったよ!白いかたまり」
目で追うと、私の”主治医”が右手をあげてガッツポーズをしていた。
彼は「発掘」に成功したのだ。成功して高揚しているのだ。
無機質な機械音を聞きながら私はまた目を閉じた。

***

もうすぐ・・・

育てている檸檬水晶は溶液の中で透明な棘を伸ばしていく。
本来なら時間をかけて造られる物質が、たった10日足らずで目に見えて大きくなる。小さなカップの中の時間軸が、するんと私の首の後ろにまでのびて繋がったみたいに感じる。襟足をさわると、指の先にぽこんと傷跡が触れる。

ここにあった”かたまり”は、偶然から発掘されて、もう粉々になってしまった。白い灰みたいになって散っていったのだ。
「…水晶、とはいかなかったね。」
檸檬水晶はそろそろ、ここから取り出す時を迎える。

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