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泡日記 六月になりました

十数年ぶりにハローワークに通っている。失業保険を受けとる為に講習を受け、月に1度の認定日に就職活動とみなされる活動記録を提示し、認定をうける。約1週間後に保険料が振り込まれる。

朝、息子を学校に送り出したあとで犬の散歩に出る。緑道の方を選ぶと、駅に向かう通勤と思しき人達とすれ違う。AirPodsを着けたスーツの男の人、LUUPで追い抜いていく女の人、作業着でそばの建築現場に入って行く人、ママチャリの前と後ろに子供を乗せたお父さんは、これから保育園を経由して行くのだろう。犬の落とし物を拾いながら、チクリと痛む胸。

数年前までの我が家のスタイルを思い返す。朝は夫が自転車に乗せて子供を保育園に送り、帰りは私が迎えに行く。1台しかないママチャリは駅の駐輪場で受け渡す。1日は職場と保育園とスーパーの行き来で成り立っていた。たまに延長保育のお迎え時間に余裕があると、少ない時間でも駅ビルで雑貨や洋服を見に入った。息抜きというか金魚が息継ぎをしているかのようだった。

チクリとする理由は、こんなに仕事をしない生活を長く送った経験がなく、自分が怠けているのではと感じるからだ。堂々としていればいいのにね。人からどう思われるかの方に最初に視点を置いてしまうのが、長年染みついた悪い癖である。失業保険が切れたら貯金に手を出さないといけない訳で、いつまでも働かない訳にはいかない。

でもこの時間があった気が付いたことが沢山あった。
文章のこともそうで、私は読むだけでなく書く側にも行きたかったんだなと分かったし(スキルは置いておいて)、学びの場に飛び込んで世界を広げたり、新しい友にも出会い刺激も受けることが出来た。
きっとあのまま仕事を続けていたら、この人生に向き合わなかった。そう、通らなかった道を今は歩いている気がする。

母の元に平日休日関係なく通う事も出来なかったし、病気を抱えた犬の側にも居てやれなかったろうし。
毎年胃の検査で指摘されるタコいぼびらんが不思議と無くなったし、持ち帰った仕事を夜中までやっても得られる対価はこれだけと思う日々がしんどかったけどそれもないし、H&Mでワンシーズンだけの服をストレス買いすることもなくなった。それと、まぁいろいろ。

都合のいい話だけど、そういうサイクルに戻らないでいられる働き方を次は探したいと思っている。ではそれは一体どんな働き口なんだろう。
久々に履歴書を書いてみたら、わぁ年齢いってる…と他人事の様に自覚する。そんな甘い事ばかり。選ぶなんて言ってられないのではないかしら。

文章を書き続けてZINEを作ったり、創作の場で交流したりすることを手放さないようにしたい。そして働く事は苦しい事という結びつきを今からでも手放したい。
窓の外は大雨である。これを書きながら両親の暮らす町のライブカメラを確認している。どうか皆さんのお住いの地域も被害にあわれませんように。


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