syukusai

 ピアノが弾けたら狂ったように弾くだろうし、車両系建設機械運転技能講習を習得していたなら、3トン以上のユンボでどこもかしこも整地していたはず。でも、気が付けばしたいこととできることを分けるようになって、できることへの想像力さえどんどん失われていく。年を重ねるごとに、ほんのちょっとの説得力と引き換えに、大量の細胞が弱ったり死んだりする。いやいや、ごめんあのさ、全部かかってこい。

 他人は見上げることもなく見下げることもなく、自分と別の星だから、比較してなんか思うみたいなのは全部いらない。毎日毎日自分のこと考えたい。好きなもの全部かき集めて手元に置いて、好きな人全員に会って、生きててよかった死ななくてよかったって繰り返しばかみたいに感動して、お世辞とか社交辞令で時間を無駄にしないで、好意なんか全部素直に伝えて、極端なきれいごとばっかり口にしたい。きれいごとばっかり口にしてるのがお似合いになりたい。
できない。できないできないできない。遅刻ばっかりしてる。言葉選んで、人を選んで、傷つけるのに、傷付かないように社会人やってる。てかもう、あんまり傷付きもしない。納得、納得、納得。納得はハードな薬で脳がだめになる。ねえでも、他人も自分も安い慰めの為に光ってないってやっとわかったし、うそでも幸せになりたいって言ってたい。うそつかない。共通認識って助かるけどぶっ飛ばしたい。

 生活に一発逆転なんてなくて、才能なんて少しもなくて、努力と工夫で地続きの毎日。
 
 自分を変えたいなんて大げさなことじゃないけど、最近は今までしなかったことやったり、言わなかったようなこと言ったりしてる。急に思いついた短歌を急に応募したり、秘密を人にしゃべったり。誰にも見せない文章や動画を量産しながら、こういうパワーって本来子孫繁栄に使っていくはずだったんでしょうねって自分で皮肉って、ずっと壁打ちしてきた自分の頭をぐにぐにと撫でてる。えらいね悲しいね、えらいね悲しいね、えらいね悲しいね。
生きてるだけで、えらいね悲しいね。

  
 もういい年なんだから、人様の目に入る前提の場所で散文的な文章は書かない、なるべくちゃんとした文章書くって決めてたのに、人にわかっていただけないほど自分のことが愛しくなるから、寒い時にやってしまう。でも、意味わかんないことほど考えたほうがいいし、見えてないところ見たくなって欲しい。
「ごめんね」ってゆるされるつもりで言ってる。知らないこと全部知りたい。本当は喋ってるときの顔が見たいだけで、すぐ忘れる。