毎日も手作りだよね
実家は無宗教だったけど大人になってから自分が腹落ちするような言説の先にはいつも聖書があって、そういえば母方の祖母は敬虔なカトリック教徒だった。祖母が亡くなった時の葬式は神奈川の教会で行われた。別に示し合わせてもないのに、賛美歌を歌うとき親族一同、全員口パクだった。いい大人が揃いもそろって下を向いて口パク。静かに流れ続けるアメイジンググレイスが妙に空気を重く寂しくさせて、派手好きでお洒落で厚化粧だった祖母を想うと胸が痛んだ。形見分けでは木製のロザリオを私に手渡し「これをおばあちゃんだと思って持ってな」と目を赤くした母が言ったのでした。
高校も卒業した歳の娘に言うことかね、と内心冷めきっていたのは、私自身の母に対する嫌悪と、母もまた祖母を嫌悪していたくせに、死んだら殊勝なことを言って、私を子ども扱いすることで悲しみに浸る母へのさらなる幻滅からだった。
祖母が死んで少し泣いている母を見て、この人が死んだとき私はどうなるだろうかと考えたのが約13年前。母の日はいつもこの教会での葬式を思い出す。父の日になってから両親ともにプレゼントを贈る。私のような娘を持って、母はどんな思いだったろうと、最近になって考える。正直いつも頭にあるのは愛のことばかりです。
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こんなこと誰にも言いたかないけど、愛してる人と別れちゃった。
(20年以上前、峯田和伸がブログにこんなような文章で当時の彼女と別れたことを綴っていて、意味わっかんねー。となぜか少し腹が立ったのをずっと覚えてる。)
生きるのがきつくてもきれいごとばかり言っていたい、今はそう思う。
現実を見つめれば即石になってしまうような日もあるけど人の温度で肉に戻る。
占い師が無責任に言った「理想の家庭を叶える人よ。家庭を完璧に治める。結婚しなさい」と、私がした「ああはい。時が来れば」というかっこいい返事、待ちゆく人々みんなに聞かせたかった。
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うつ病のときに購入したギターの弦が錆び切っていて、交換してまた弾きたいけどナイーブになってるって認めるみたいでできない。