普通亜種

私が子どもの頃、私の母はよく「どうして普通のことが普通にできないの」と泣き喚いて訴えて、私はひたすら困って、普通って知らない、何かわからないし…と、言っても火に油を注ぐことが分かりきってるから、とにかく口をつぐんだまま泣くしかできなくて。あの頃以上の不幸ってないよなと思う。母も私も、家族を思いやる語彙をひとつも持っていなかった。不貞腐れて、もうさっさと殺してくださいよみたいなことを言って、血が出るまで殴られたことも、団地の最上階の踊り場から見上げた青空も、何一つ美化されないまま。そういった記憶を申請する窓口はなく、補助金も出ないし、つらい経験は精算されないってやっとわかった。報われない報われないとは思ってたけれど、そうか、そうか、ただの過去。
「苗字が変わるから、学校の道具類の名前を書き換えようね」と最初はにこやかだった母が、理由は忘れたけれど徐々に機嫌を悪くして、私は緊張と焦りから、すべての名札に旧姓を書いた。悪気なんてひとつもなかった。その瞬間の母の、この世の終わりみたいな絶望の表情が、白黒のまま焼き付いて離れないのだ31歳になっても。御涙頂戴と言われても、そういう暮らしの中生き延びた自分も、自分だし。そうして大人になって、母にも悪意はなかったかもしれないと考える。わからない。

人の地獄に触れてみそとはよく言ったものだ。特に、大切に思う人の地獄に触れてみて欲しい。私は、自分は恵まれてる人から多少なにかしら搾取することになっても、許されるべき存在だと思っていたことがある。それは私がしんどい人生を歩んで、人より恵まれてこなかったのだから、今になって多少の得をしてもバチは当たらないし、私より多くのものを持つ者から多少いただいたって、それは本来私がもらえなかったものを返してもらうことと同じだろう。むしろ、その方が平等だろう。明確に言葉しなくても、潜在的にはそんなふうに考えていたことがあった。恥ずべき幼稚性。恥ずかしい。本当に恥ずかしい。大切な人の地獄を目の当たりにした時、自分が世界で1番不幸だと思うあなたは、どこまでいけるかな。私は、これからどこまでいけるかな。

ヨーソロー どうなっても大丈夫です。自信があります。ごめんね普通じゃないかもだけど、大丈夫。どこからでも入ってきてください。どこから齧っても美味しい人を目指します。