それにしても、
なんというか、アレだな、こう、なんとも言い難いものが、じんわりと、いや、しんなりとして、湿気を含んだそれは、甘ったるい余韻をそこはかとなく帯びながら、まだ最初の頃は今よりかは幾分パリッとしていたであろう、せめて、せめて、
本来ならば主であるはずところが、哀しいことにサブとメインがチェンジしてしまったらしい、行き場のない、在庫のような不当な扱いを受けている、大量のウェハースを食べている自分。
1ヶ月前だったろうか。
子どもが「限定オリジナルカード付き」ウェハースという、いわゆるおまけ目当てで、箱ごと買って帰って来たのは。
ウェハースは1個につき、2枚入りでカードは必ず個包装に1枚入っている仕様だ。なのだが。
どれでもいいのでは無いらしく、好きなキャラクターの欲しいデザインのカードというものがあるらしい。しかし、外側のパッケージからでは、中身を知ることは出来ないことからのこの暴挙である。
用意するもの、タッパー、ゴミ箱。
個包装をひとつずつ開封して行き、ウエハースはタッパーに、包み紙はゴミ箱へ、淡々と作業をすすめていく。ここでおどろいたことには、さらに保護するためにカードが袋に入って封入されていることである。
かくして、ウエハースの山と、カードとの分類は終わった。1枚1枚嬉々としてお気に入りのアニメのイラストの入ったカードを眺めて、悦に入っている我が子に、内心、
「どうして、そんなに立派なオタクに育ってしまったの?」
と、思わなくもないが、これもジェネレーションギャップというものなのか。わたしの子どもの時もビックリマンチョコのことで問題になったことがあった。子どもたちは、シールだけ取り出してお店の前で、チョコレートを捨ててしまうのである。なんて事を。
ポケモンパンをねだる子どもに、「シールが欲しいだけやろ、ちゃんとパンも食べる?」と、問いただしている母親がいた。わたしはそのとき、心の中で「ウン、ウン、だってあのパン、おいしくないもんなぁ。」と、見えない「いいね」をいも連打していた。うちの子どもたちも、一度でこりたらしく、迂闊に「買ってー」とは言わなくなった。
カードやシールが欲しいなら、そっちの専門の店で購入したらよいのではないかと思うが、世の中お金で回っているので、色んな大人の事情があるのだろうね。そして、ちゃんと「大人買い」してくれるうちの子みたいなカモも存在するわけだ。
そして、忘れ去られたウエハースは今朝の五十歳のわたしの朝食となって、「食品」としての役目を全うした。
なんかおかしい気がする、何かが腑に落ちないという疑念が頭によぎるのであるが、それが何なのか、釈然としないまま。