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わたしはわたしのために生きる
過去と訣別するために、わたしは兄に対して
10年前に他界した父の遺産相続遺留分請求を
法テラスを利用して、弁護士事務所の弁護士さんに相談した。
正直、財産と呼べるような物はない。
しかして、死後10年の時効の数日前に
母がうっかり口を滑らせたのは、何か虫の報せの
ような気がする。
わたしが6歳、兄が中学生のときから、それは
始まった。
暴言暴力性的な……。
わたしはお兄ちゃん子だった。
お兄ちゃんが小学校から帰って来るのを玄関で
今か今かと待ちわびていた。
兄が戸を開けて家に入ろうとすると、幼稚園児のわたしが待ち構えていて、「お兄ちゃん見てー。
今日幼稚園ではとぽっぽ体操習ったのぉー。」
と、はとぽっぽーはとぽっぽーとひと踊りしなければ、兄は中に入れなかったたと言っていた。
小学生だった兄はよく小さなわたしを自転車の後ろに乗せてあちこち連れて行ってくれたし、
いっぱい遊んでくれた。
7つ年上の兄は幼児のわたしから見ればお兄ちゃんはなんでも出来て、何でも知っているすごい存在だった。
そんな兄が急変したのは、中学生になってからである。わたしは小学生になったばかりだった。
朝、向かい合わせに座ってトーストを食べていたら、いきなりイチゴジャムの瓶がフタを外して
わたしの頭に投げつけられた。台所にいる母は
見ないふりをしていた。湯沸し器のガスを触るのは固く禁じられていたため、冷水で髪のジャムを落とし、ボトボトの頭で学校に行った。
いつ、怒鳴られるか、いつ、殴りかかられるか、
怖くて怖くて、自分の部屋にいても兄は隣の部屋からふすまをすこぉし開けてわたしを覗いていた。視線を感じると、そこには兄の目玉がこちらを凝視していて、ふすまの隙間から紙が差し込まれてくる。「そんな絵描いても誰も見てくれへんぞ」とか、とにかく兄はわたしに対してとことん否定的な言葉を執拗に繰り返した。
子どもの頃のお絵かき、まわりの人がほめてくれたら、素直にうれしいはずなのに、兄がわたしにだけ聴こえるように「あれはお世辞やぞ」
「ほんまはそんなこと思ったはらへんのやぞ」
と囁く。そうなのかな、そうなの?
そうして、自己肯定感のものすごく低いわたしが出来上がった。小学5年生のとき、性的な意味を知り、今まで兄にされてきたことを理解して愕然とした。信じていたのに、家族だと思っていたのに
ちがった。崩壊しかけの家族の中で聞き分けのいい子を演じ、成績も塾に通うわけでもないのに、学校推薦で高校進学するくらい、成績優秀だった働きに出た母の助けになりたくて家事も積極的にしたし、風呂敷残業も手伝った。
なのに、
16歳のとき兄が母を呼んで「こいつ、放り出せ」母はそれに対して「はい。」
それから、わたしの流浪の日々が始まる。
夜中ひとりで夜が明けるまで歩き続ける。
昼間は入場券で何時間も電車を往復して乗って
時間をつぶした。
そして擦りきれた。わたしはうつ病だと診断された。自殺未遂もした。
でも、弁護士さんが兄と電話で話したところ、
母が作った借金を兄が代わりに返済したので
「代物弁済」として生前贈与で家と土地を
父から兄に引き継いだと。わたしは知らなかった。認知症の父が徘徊したら連れ戻していたのはわたしだった。時々、父のマッサージをしていたのもわたしだった。病院にお見舞いに行くのを
母と兄から拒まれても、わたしは行った。
仕事の帰り、山の上まで自転車で父の様子を見に行った。父は家に帰りたがっていた。
父は本当に自らの意志で兄に家の登記を譲ったのであろうか?母と兄だけでしたことではないか。
父の通帳も印鑑もすべて母が管理しており、母がした借金が父名義になっていることを父は知っていたのだろうか?それから、生まれてから現在
58歳まで実家に結婚してお嫁さんまで二階を占拠して生前の父の年金と、現在は母の年金(遺族年金)で、生活して来ているのに?ずっと、60近くまでロクに働いたことがなく、親に食べさせてもらってるのに?わたしも母からせがまれてしょっちゅうお金貸していたのに?わたしが受け取り人の母の養老保険も見つかって解約したんだよね。
わたしの切手収集10万円で勝手に売ったんだよね。貴重な切手趣味週間のシートもの。わたしが小さいときは、くちゃくちゃになったらアカンし預かっといてあげるって言ってたのに。
借金先の過払い金請求して戻って来たこと、母は
兄に内緒にしてるんだよね。
わたしは、もらってないよ。
わたしはもう自分を許そうと思う。
わたしはわたしのために生きるよ。
血のつながりなんて、いらない。
わたしを理解して支えてくれた人たちは、
雲の上に行ったりもするけど、
そばにいてくれる人を大切にしよう。