許す
「人を許すことを覚えたら、人生が楽しくなるよ。」
昔観たドラマの中でおばあちゃんが孫娘に言うの。
自分はそのとき、年齢的にも精神的にも幼かったから
よくわからなかった。
わからなかったけどその言葉が大事な鍵穴を開ける鍵だというのはわかった。しかし心に嵐が吹き荒ぶ日は
目を三角に尖らせこの世のすべてを憎んだ。
わたしの場合、他者を巻き込むのは本意ではなく、
思えば全て自傷行為だったのだろう。
痛みさえ感じぬ程に怒りに支配されていた。
あの時のわたしには、もう戻らない。
そしてぎゅぅぅぅーっと抱きしめてあげたい。
あなたは悪くない、って。わたしを許してくれるの?
わたしはどうして生まれて来たの?
生まれてきたくなかった。
あんなお父さんイヤだ。
お父さんだと思うから、イヤなのよ。
あれはお父さんじゃなくて、「ヤスオ」というの。
そっかぁー、じゃあ、しょうがないね。
わたしは14のとき、54の父と殴り合いの喧嘩で勝った。先に手を出してきたのは父の方で突然ビールジョッキで殴ってきたから、やり返したまでだ。
兄には敵わなくてもわたしにならいけるとなめていたらしい。わざと負けてくれたワケではない証拠に
「やーいやーいバカぢからおんなァー!!」
と叫びながら勝手口から逃げて行った。
手加減してやったのに。
父のことをお父さんではなく「ヤスオ」と思うようになってから、父のことを許せるようになった。また、父の生い立ちを振り返って田舎の豪農の次男というまるで
厄介者のようでありながら長男にもしものことがあった時の跡取りのスペアとしての微妙な立場。同じ兄弟なのにあからさまな差別をされて、下の弟二人は自由なのに中途半端に家に縛られて、教育大に3年通ってこのままでは教師になってしまう、とあわてて国立大に入り直して7年も大学生をしたらしい。外資系の企業に勤めたが、回りはみんな有名私大卒の垢抜けた人材。
ひがみが強かった父をさらに追い込んだ。
それでも真面目に会社には行っていた。
父はクビになったのだった。中学二年生のある日、
学校から帰宅すると平日なのに家族三人が実家の居間に
おり、うつむいていた。
晩年、父は認知症になった。憎たらしさはなく、
赤子のような父を見てひとり徘徊する父を探し回った。
父は度々かんしゃくを起こし、周りは手を焼いたらしいが、わたしの前では好好爺でニコニコしていたし、
普通に会話が出来て時折嬉しそうに笑っていた。
父はわたしの言うことだけは聞いてくれたらしい。
兄が入院中の父のところに嫁と見舞いに一度だけ行ったとき、嫁を指して「これ、ふさふさやなぁ?」と
言ったら父は「ちがう。」と答えたらしい。
つくづくイヤな兄だ。
あれだけは許せない。
分かり合える人とどうしても分かり合えない人は必ず
存在するけれど、なるべく自分を許して人を許して
生きて行けたらとわたしは思う。