ベトナム紀行文②「カントー大学編」
前回のお話はこちらから
カントー大学初日
カントーに到着した私達はカントー大学にお世話になった。カントー大学は非常に大きな大学で、京都の小さな大学である弊学が4つは収まりそうなサイズ感。緑が多くあり正にユニバーシティという感じである。そこで私達を案内してくれたのはフンさん(ベトナムの方の名前は基本本名です。)。フンさんは昔弊学で勉強されていた助教授の先生で、日本ネームである「いさお」という名前を持っていた。日本語はあまりできないが、少しでも日本の言葉を知っている人に出会ったときの安心感はいったいなんなのだろう。外国に行くまで翻訳アプリがあれば言葉を話さなくても大丈夫だと思っていた。しかし、やはり郷に入れば郷に従え。その国の言葉を話せないまでも知ろうとする姿勢が互いに安心感を与える気がした。
ベトナムの学生
実験自体は一回生の実験を手伝うものですごく簡単。しかし、凄まじく私を悩ませたものがあった。それはベトナム人学生の名前である。ベトナムではベトナム語が公用語である。ベトナム語は声調(発音)が非常に大切な言語で、日本語にはない鼻濁音が多いため、聞き取りはすごく難しい。大学では英語で会話できるが、名前だけはベトナム語から逃れられず、全く覚えられない。han(ハンに聞こえる)さんとhoa(ホアだがハンにも聞こえる)さんhoong(強いていうならフォンに聞こえる、実際はフーン)さんの見分けがまったくわからず、フーンさんの名前を3回聞いてしまい、失礼だよ!と少し叱られた。
またベトナムの学生の特徴は、自撮りにあると感じた。日本では自撮りをインスタに上げようものなら、「なんて痛いやつだろう、アイドル気取りかよ」となるがベトナム人は自分の自撮りをインスタにいくつも挙げている。しかも、撮り方が上手で様になっており、全く痛くない。日本人もこれくらい自己肯定感がないとと思わされ、感化されたので何枚か自撮りを撮ったが見せるに足るものはなかった。何事も研鑽である。
お昼になると、ブロークンライスと言われるお米を砕いたものを食べた。なぜ砕くかは謎だが非常に美味しかった。後輩のめいちゃんはすべて食べることができず、「もう食べないの?(英語)」ときかれると「I'm small stomach!(胃が小さいの!)」と元気に答えていた。この言葉で彼女は数多のベトナム料理を乗り越えていくのだがそれはまた別のお話。
カントーでの夜
夜にはベトナム人の学生が外へ連れ出してくれた。ベトナム料理を食べたのだがやっぱりなんだか甘い。ご飯があまいのは不思議な感じである。ちなみにベトナムでは氷に気をつけるように言われていた。ベトナムでは冷蔵庫がないため、氷が必ず飲み物に入る。その氷も製氷機がなく、購入した氷をアイスボックス(日本で釣りに使われるようなやつ)に入れているため、氷が原因でお腹を壊すことがあるのだ。あまりに暑つすぎるために、どうにでもなれ精神で氷を使っていたが、その後お腹を壊すことはなかった。正直下宿時代炊飯器にカビを生やしたことがある自分には関係なかったようだ。
夜は塗り絵をしに行った。大学生が塗り絵で大盛りあがりできるところがベトナムという国のエネルギーと若さを表している。色々な陶器が置いてあり、その陶器に絵をかけるというもので、実際とても楽しかった。
学生実験と昼食と謎の島
この日はイベントで盛りだくさんであった。まず朝から学生実験の指導。こちらは大学院生で、向こうの学生は学部生なので教えるのはそこまで難しくない。どこの国もそうなのかわからないが、女子のほうが積極的に参加し、男子はなんだか他人事。文化祭の「ちょっと、男子練習してよ〜」状態である。特にうちの班の男子ダットくんは実験に全く参加してくれないし、全然英語で会話もしてくれない。シャイかと思いきや、インスタにはイケてる音楽と共に自撮りを乗せているのでベトナム人の自己肯定感とシャイは共存できるらしい。
昼食は、前カント大学学長と食事。食事内容は木の皮(消化されなかった)や、ライスペーパーで包む料理、カエルの唐揚げ(魚と肉の間みたいな味だった)など盛りだくさん。特に竹にもち米が詰められた料理はお菓子ぽくて美味しかった。ライスペーパーはヌクマムといわれる甘い魚醤につけて食べるのだが、ヌクマムはその特有の匂いと甘さであまり好きにはなれなかった。次に魚とパイナップルとトマトを煮込んだ鍋が締めとしてでてきた。この甘酸っぱい(というよりあっっまいし、なんか酸っぱい)鍋は、日本人の口に合うことは全くなかったのだが、豪華な料理の一種のようで、その後のツアーやお別れ会など事ある事に出てき、全員をなんとも言えない顔にさせた(ごちそうになったのに、すいません)。
昼食後は実験もなかったため、学生たちとある島へ。島に行くまでは、学生がバイクに乗せてくれた。ベトナムの交通事情は恐るべきもので、大量のバイクと車が走っているにもかかわらず、まずまともな信号がない。右側通行で左折するときに、大量のバイクの間をぬって曲がるのだが、もちろん対向車線は停止してくれないのでなぜ事故しないか不思議である。ベトナム人は見聞色の覇気か、未来予知能力を持っているとしか思えない。冗談はさておき、ベトナムでは18歳から免許が取れるが、15歳くらいから自分の家の敷地でバイクの練習をするそうだ。乗せてくれたターくんは、22歳で20歳の子たちの運転はまだまだ若くて不安定だという、大人の余裕を見せていた。やはり何事も練習である。このバイク旅はジェットコースターみたいでとても楽しかった。めいちゃんが乗るバイクが右折しそこない、後ろのバイクと接触する、ぷち事故を起こしたことは学校には内緒である。
波止場に付き、船でメコン川の島にわたった。レジャー施設のような場所で、いろいろな自然体験ができる場所である。まずフライング・フィッシュと言われる魚がおり、餌を投げると空中に文字通りフライングした。気色悪くないといえば嘘になる変な光景で、ベトナム人学生でもちょっと引いていたほどだ。その後、果実をもぎ取って食べれる果樹園へ。ベトナムの果実は塩をつけて食べるようで、甘さは控えめな分塩がアクセントとなり美味しかった。
ケイティ
この旅も最終日になり、実験結果の発表を行った後、マンゴーなどフルーツと日本のお菓子を交換して簡単な送別会が行われた(ちなみにこの発表会でもダットは英語で話すの恥ずかしいといって発表しないと駄々をこねていた。しかしその後自撮りを挙げているインスタはすんなり交換してくれた。やはり羞恥心の境界が謎である)。
この旅でコーディネイトとしてくれたベトナムの学生はケイティ(アメリカネーム)という子で非常にお世話になった。ケイティは英語が上手いわけではなかったが、言葉の量やボキャブラリーが多く量でその英語を補っていおり、すごく賢く親切な人であった。彼氏が英語がペラペラで、自分は全然ダメだと自分のことを卑下していたが、本当に上手だったので、「彼氏が英語が下手だって言ったみたいだけど、自信を持って欲しい、君がいたからカントーを楽しめたんだよ。」と伝えると喜んでくれた(その後、彼氏がターくんであることを知り、若干気まずかった。)。みんなを引っ張っていってくれるリーダシップ力とどこの国でもやっていけるようなアグレッシブさ、積極性があり、人として色々な面でとても刺激になった。この場でも感謝を伝えたい。また他の学生も本当に良くしてくれた。全員親切だったし、日本人にとても優しく、旅をコーディネイトしてくれた。安全で楽しい旅になったのは彼らのおかげである。
故に、グミとかいうくそしょうもないお菓子しかお土産で持ち込まなかった自分がとても嫌になった。もしこのプログラムに来年行く人がいれば、豪華な何かをあげて欲しい。
エコツアー、ホーチミン前編へ続く
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