ベトナム紀行文①「出国と到着編」
ベトナム旅の始まり
それはある日先生からのメールで送られてきた。ベトナムに研修に行きませんか?他の国の人と交流するまたとない機会です。ぜひ参加ください。
正直最初聞いたとき、僕はは乗り気ではなかった。まず卒業旅行は韓国に行くことが決まっていたし、研修旅行ということで実験などをしなければいけない。元来授業が嫌いな私としては、研修という言葉にネガティブな印象を抱いていた。またベトナムという国にそこまで魅力を感じていなかったのは事実である。なんせベトナムへの知識はベトナム戦争で勝った国であること、研究室のベトナム人はとてもシャイであることくらいしかない。研修に行くならヨーロッパがいいな。それくらいの興味のなさである。そのためそのメールにも特に返信せず、先生に直接おすすめされた際も断った。
しかし、同級生のかずが「一緒にベトナムに行こう!」と誘ってくれた。かずとは長い友達で気があう同期である。またかずは元来楽観的な性格であるため旅行では非常に心強い。かずと一緒なら楽しいかもしれない。そこで先生にすみませんやっぱり参加しますと言い、ベトナム研修への参加が決定した(その後かずはTOEICの点数が足りず、ベトナム研修には参加できなかったのだがそれはまた別のお話である)。
出国
出国は関西国際空港にて始まる。メンバーは同じ研究室の後輩男子のひろとネジ、女子は同期のちはる、後輩のひなたとめいである。関西国際空港は関西最大の空港でありながら、外国であるかのような遠さで有名な空港である。そこで前日後輩のひろと私で前泊を行った。前泊ではひろがスマホを落とし画面がつかなくなったことや、ひろのキャリーケースの取手が壊れたことなどがあったが対したトラブルはなかった、多分。ベトナムへの持ち物は以下の通りである。5日分の服、日焼け止め、虫よけ、薬(お腹の調子が悪くなると聞いていたためビオフェルミン)、お金10万円、そしてお土産。このお土産は向こうの学生と交流を行う時に渡すように指示されていた。100円均一の日本っぽいグッズがいいよと言われていたが、いや自分がホスト側ならそれいるか??と思い日本のグミをお土産として用意した(この決断が後の大きな後悔に繋がる。)。
出国の際は手荷物検査のゲートを通る。何も持っていなくてもなぜが緊張する瞬間である。ここで後輩のひろはある事実に気づく。ライターが一人ひとつしか持ち込めないのである。ひろはヘビースモーカーでタバコなしでは生きられない。そしてヘビースモーカーあるあるでなくしたと思うたびにライターを買うのでライターが増殖していた。いくつあってい困らず、安いものは増殖しがちである。ライターとかボールペンとか。彼は5つのライターを持っていた。捨てたらよろしやんと思うがなぜか我々は彼のライターを一つずつもち、機内に持ち込んだ。合法のライターでもこの緊張感である。違法な麻薬やブランド品を運ぶ人はこの緊張を毎回感じていると思うと、それらの品の値段が高いのも納得である。知らんけど。
ベトナム航空
乗った飛行機はベトナム航空である。流暢な日本語を喋るベトナム人スタッフさんに連れられいざ機内へ。ベトナム航空の特徴はCAさんがアオザイを着ていることである。非常にかわいいし、ベトナムに行くぞという気持ちを高めてくれる。日本でもJALとかのCAさんは着物を着ればよいのではないだろうか。しかし着物では動きずらい。それならば割烹着などは?あれならある程度動けるし、日本感も感じられる。そんなことを感じながら4時間の旅路である。4時間ほとんど本を読んですごした。「アルジャーノンに花束を」読んでてしんどくなりました。そんなことをしていたらベトナムへ無事到着。4時間は長くはないけど短くもない。
ベトナム到着
ベトナムに到着してはじめに感じたのはこれである。「暑い!」。ハワイに一度いったときはカラッとした気候で暑いがジメジメはしていなかった。しかし、ベトナムは暑い上にジメジメしていた。空港のターミナルから入館ゲートまで車で移動したが社内は灼熱の様相であった。空港は特有のトロピカルなんだか、薬品なんだかわからない匂いで充満していた。異国に来た、その思いが強かった。入館ゲートでは無愛想な入館の人にハンコを押された。入館ゲートが愛想が悪いのは万国共通らしい。いつかやってみたい、愛想がわるい入館ゲートランキング。
空港からでるとまずはお金を換金。ベトナムドンはその価値が低いためまともに買い物するには100000ドンは必要である。ドンの計算は簡単で、表記は基本的に10K(10000ドン)のように表記されている。Kの部分は無視して、10×6をし、60円。そんな具合で計算すれば簡単である。ドンは低ければ低いほどボロボロで人生ゲームのお金みたいな質感。一方で最大の500000ドン札はむしろ綺麗。なんだが世知辛い。
カントーへ
まず向かったのカントーである。カントーはベトナムで5番目の都市で日本で言うところの仙台や福岡といったところであろうか。水の都といわれておりメコン川が流れている。空港のあるホーチミンからは車で4時間。これには驚いたがベトナムには電車がない(貨物列車はある??)。すべて車での移動である。
まずバスからみた景色で驚いたのはその交通量だ。とにかくバイクが多い。日本では到底みることのできないようなバイクの量で、しかも二人乗りが多くなんなら4人くらいで原チャくらいの大きさのバイクに乗っている、狂気の沙汰である。そしてその多すぎる交通の割に道は狭く信号はない。また露店が多いためその道が更に狭くなっていた。なぜ事故が起きないか謎である。
ホーチミンを抜ければ、一面の田園地帯が広がっていた。そこらかしこで凧揚げをしている子供たちがおり、なんだか国の若さを感じた。途中メコン川を横切る際、日本のベトナム支援機構であるJICAが建てた橋を通った。ベトナムでも日本人が活躍していると考えると何だか誇らしい気分である。日本もなかなかやるじゃん。
カントー到着
到着してホテルへ。ついた時は夜であったが、まちはギラギラであった。こちらの人は日中が暑いため、夜に遊ぶらしい。カントーが観光地であるのも少し関係しているかもしれない。向こうのホテルでは、現地の大学生がおり歓待してくれた。最初の夜はフォーを食べさせてくれるという。道中で何歳?と聞かれたので、25と答えると「25!?まじか、めちゃくちゃ年上やん!(向こうは20でした)」というリアクションをされ、気持ちはメコン川共にはるか彼方へ。アラサーおじさんは辛いよ。
フォーは非常に美味しかった。しかし、机においてある唐辛子は辛すぎて一ついれるだけで、フォー全体が激辛になり少し後悔。ベトナムの子に聞くと、現地の人でもいれる人と入れない人にわかれるらしい。また一番驚いたのはお茶。ウーロン茶があるよと言われて、頼むと出てきたウーロン茶はびっくりするくらい甘かった、作ってるの日本のサントリーなのに。どうやら南部では甘い味付けが人気であり、それに合わせたらしい。この甘い味に今後大いに悩まされることになる。
その後、近くの広場のホーチミン像で記念撮影をした。ホーチミンさんは崇拝の対象になるくらいベトナムの独立に貢献した人らしく、紙幣にも街にもその名前が刻まれていた。お腹が痛くなると脅されていたが、初日はそこまで調子も悪くなることなく、そのまま就寝。
カントー大学編へ続く
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