想像力?妄想力?それはちから。
小学4年の我が娘。
朝食のときに、ふと真剣な表情で質問してきた。
「おうちの黒板のところでね、
学校ごっこをやったことがあるんだよ。
ひとりでね。
でも、9人の生徒さんが座ってて、
みんなにひとりずつ、プリントをくばったりして、
じゅぎょうをしたんだよ」
「なんかね、
そういうの、いっぱい考えてあそぶの、
すっごい楽しいの!」
「ほんとうはいないんだけれども
いるみたいになるの」
「まだ、おままごととか大好きなの~!」
「ママもそういうふうだった?」
「4年生のときも、そういうふうだった?」
ちょっとはにかみながら、きいてきた。
娘なりに、4年生になっても、
そんなふうに、想像の世界であそぶことが世間的に
まだあっていいのか、おかしなことなのかと
ちょっと気にし始めていることが、
なんかとてもかわいくて、愛おしくなった。
わたしもかなりな「ごっこあそび」どっぷりタイプだったから、
うん、理解できる。
「ママもそうだったよ」と伝えたら、
とてもほっとして、嬉しそうに、満ち足りた表情になった。
そしたら、わたしもとても満ち足りた気持ちになった。
正直、我が娘は世間の子よりも、
かなりなファンタジスタだと思う。
そこを大切に育てたから、そうなのだけれども。
でも、彼女のもつギフト、
見えないものが見えるちから、が、
それをより強くイキイキとさせていて、
うちの屋根裏部屋には
赤地に白いぽつぽつ模様のついたとんがり帽子をかぶった
こびとさんの一家が住んでいて、
ちゃぶ台のまわりをこびとのこどもたちが駆け回っていたり、
こびとのおとうさんは、ときどき狩りに出かける
その様子を朝起きて、布団からじっと眺めていたら、
起きてくるのが遅くなっちゃった…と言われたら、
わたしは、そうか、そうなんだとリアルに納得してしまう。
うれしいな。
うちには、こびとの一家が住んでくれているんだ♪と。
そんな妄想力は、これから生きていくのに、
とてもとてもちからになる、と信じている。
かなりな創造性を秘めている、と思う。
『ひとが想像できるものは、いつか必ず創造できる』
いつかの東急不動産のコマーシャルのコピー。
わたしもそのちからを信じている。