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フラがあったから生きてこられた


ずっと長いこと、フラダンスを習いたいと思っていた。
でも、以前の働き方だと、
毎週決まった曜日の決まった時間をレッスンのために空けておく、
というのが、わたしにはハードルが高くて、
そのために仕事を断ることはしたくないし、
かといって、レッスンを休むのも…となると、実現しなかった。

それが、どういうわけか、
娘がようちえんの年少さんのとき。
仕事よりも、育児に時間もエネルギーも注いでいたとき。
思い返せばわたしのこころと生活の暗黒時代(笑)。
フラのレッスンに通いはじめた。
どうしても!いま!という熱が盛り上がって。

娘のようちえんは習い事禁止だったけれども、
「わたしも踊りたい」という娘と一緒に、
親子クラスに入り、毎週土曜日、こっそり通っていた。

望んだ先生がクラス担当になるという、嬉しいハプニングも重なり、
もう、わたしは魂から大喜び。

そのころ、家の中は最悪な状況で、
わたしは娘を連れて自立しようと、
ひたすらに早朝、深夜とバイトに出ていて、
睡眠時間は足りないし、
もともとの仕事もやっていたし、
毎日のお弁当とごはんと、
自主運営に近いようちえんで、
行事の仕事や係担当やらで、とにかくめいっぱいな毎日だった。
そんな状況で、
よくフラを踊るというエネルギーがあったものだ、と
今さらに不思議でならない。


そんな中、週に一度のレッスンは、
こころの底から、魂から、喜びを感じられる、幸せの時間だった。
かなりの天然で、チャーミングな先生のレッスンは、
いつでも笑いに溢れていて、
お腹が痛くなるくらい笑い、
気持ちのいい汗をかき、
楽しく、そして祈りを込めて踊った。
わたしのまるごとがそこにはあった。
そのとき、その時間は、「生きている」ことを全身で感じられて、
フラがあるから「生きていられた」。
本当に。

娘が小学校に上がるとき、
やはり習い事禁止の学校で、
学校との歩みにコミットした以上、
さすがに、もうレッスンを続けることはできず、
親子で退会した。

最後のレッスンは、もう涙をこらえてこらえて、
でも溢れて溢れて仕方なく、
踊りながら嗚咽しそうなのを必死でこらえた。
笑顔で踊ろうと必死にがんばった。


習っていたのは、アウアナ(現代フラ)だったけれども、
娘は習い始めた当初から、
「わたしがやりたいのはこれじゃないの。わたしがやりたいのは、カヒコ(古典フラ)なの。」
と言い続けた。

カヒコは、もともと祈りそのもので、
チャントという祈りの儀式で唱えられる詠唱と、大きなひょうたんの太鼓のリズムとともに、
笑顔もなく真面目な顔で踊る、捧げるフラ。
それがやりたいんだ!と言い張り、今でも言い続ける娘。

わたしは、見るのはカヒコが好きだけれども、自分が踊るのはアウアナがいいなと思っている。

今は、自宅で時折、ひとりでステップを踏むだけだけれども、
またちゃんとに習って踊りたいな。
祈りがそのままからだを流れて表現されていく、あの感じが心地よくて、
自分が大いなるもの・大自然のちからとつながる感覚に喜びが溢れる。
わたしがまるごとわたしになれる。

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