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自分の歯ブラシはピンクだったかオレンジだったか



 朝、いつものように洗顔や歯磨きを済ませようと寝ぼけ眼で洗面所に立ったが、明かりが暖色のため全てがオレンジに包まれているため、自分の歯ブラシがオレンジだというのに、隣に並んでいた妹のピンクの歯ブラシとの違いが見抜けなくて、どっちがどの色だ?と悩むうちに、『あれ?私っていつもオレンジ使ってたっけ?ピンクだったっけ?』と必要のない迷いまで増やしてしまい、いっそ電気を消して仕舞えばわかるものの、とにかく寝ぼけていたので無駄に悩んでしまった。一人で間抜けだった。


 昨夜、『罪と罰(下)』を読んでいたら、どんどんのめり込んでいってしまい、このままでは朝になってしまうからと強制的に読むのをやめ、続きは早起きして朝のうちに読もうと思っていたのだが、どうも読み疲れていたらしく、起きることができなかった。(目覚ましが鳴る前に起きられるのに全く気が付かなかった。というか消して二度寝を決め込んでいた)

 出鼻を挫かれたので読む気がなくなってしまい、昼過ぎまで妹と一緒にディズニー映画を観た。ディズニー映画は心がキラキラする。とてもフレッシュな栄養を心に与えてもらったような感覚。

 

 読む気になったので『罪と罰』を再開。(フレッシュになったのに?とは思ったよ私も)

 そしたらもうそのまま、読み続けた。お風呂は手短に済ませた記憶はある。夕ご飯を食べるのは忘れた。(時計を見たら21時を回っていたのだ)

 

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 面白かった〜〜〜〜〜。

読み始める直前まで、『私に読了できるのか』『ちゃんと理解できるのか』『そもそも楽しめるだろうか』と不安たらたらだったのに、読んでみればびっくり、めっちゃ癖あるけどぐいぐい引き込まれていった。

 ラスコーリニコフは自身の考えていた理論(人類は凡人と非凡人に大別され、大多数は凡人だけど、選ばれた少数の非凡人は新しい秩序を作る人々だから、現行秩序を踏み越える権利を持っている…要は殺人を犯すなども厭わないという考え)は無茶苦茶だ…とは思ったのだけど、そういう考えになってしまう可能性がある生活、社会だったようにも思う。逃れられない貧困。妹の犠牲的結婚に、社会の薄汚さを背負ったような飲んだくれで落ちこぼれてしまったマルメラードフの家族の物語。そんな中悪名高い高利貸しの老婆がいかに憎く見えただろう。そして何より、彼は老婆から奪ったお金で福祉的貢献をしようと計画していた。より良いことをするための一度くらいの犠牲は仕方ない、というか、許されるのだ、っていう理論。(極端すぎる暴論でもある)戦争と変わらないな、なんて思いながら。

 ラスコーリニコフ、裕福で安心した環境で育てばきっと優秀な人だったのだと思う。環境が人を変えてしまったような気がする、な。

 罪を犯した罪悪感に苛まれながら、償うか、それともこのまま隠し通すか。悩みに悩む間にも予審判事ポルフィーリイは彼を黒だと見抜き、どうにか罪を認め、自首させようと追い詰めていく。(その知的対決の運びといったら。ハラハラドキドキだし私は一体どっちの味方なんだ、、と戸惑ったよね)彼の無実を信じる友人や、まさか彼が犯人だとは思ってすらもいない家族。己の罪だけのことを考える隙はなく、様々な事件や人間関係に巻き込まれたり、生活の中で、彼は狂いながらも、徐々に彼の心境が変化してゆく。

 そしてあの脇役なのにめちゃくちゃ嫌なやつルージン。あの人の性格の悪さは嫌いだな…でも…嫌いだけど…殺人は犯してないんだよな………。

 ちょっと軽薄だし、少心すぎるし、不遇を打破することもせずに偏った思想で走り抜けてしまった故に人を殺めてしまったラスコーリニコフ。(結局、彼は一つの罪を犯して真っ当な償いを受けると思われたが、判決はとても寛大なものだった。それも彼が、自身の犯した罪を洗いざらい何も嘘をつかずに吐露したことや、罪を和らげることができるほどの善行を他者に施してきたからであった。)

 彼にとってソーニャの存在は愛そのものだったように思う。愛は人を変えるって簡単にいってしまうと本当軽いんだけど、ソーニャがいてくれてよかったな…と思うのでした。(そもそも作品自体、聖書と深い関係が垣間見られるので、再読するまでに一回は聖書を読みたい)


 すごく面白かったの。とにかく。ただね、登場人物の名前だけは完璧には覚えられなかったな。ラスコーリニコフは予測変換で出るまでになったけど。


 数日間ずっと『罪と罰』だったので、次はちょっと軽めのものを読むか、それともこのままの流れでもう少し古典文学楽しむか…積読もたくさんあるので、読めるだけ読みたい。


 今日はよく眠れるかもしれない。とか言いつつもうこんな時間。興奮冷めやらぬ夜だ。

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