灼花の呪い〈◇苛楽〉

苛楽の寿命がどうして短いのかという話。

※存在だけお借りしました
梔子ちゃん


 冷たく光る月が煌々と辺りを照らす晩。周囲に倒れ伏すのは商品を狙って襲ってきた盗賊一味の死体。どれもこれも殆ど四肢や首がもげた状態で血の海が広がっている。
「苛楽殿」
 手に持つ朱塗りの鉄扇をしまわず盗賊の生き残りがいないか一人一人の死体を確認していた時、若い女の声が自分の名を呼ぶ。その女はこの惨状を殆ど一人で作り出した居合を得意とする盲の剣士。普段は村に駐留している直の者だが、今回は商品の護衛の為に個人的に雇って連れてきていた。斬ることに関しては突出した才を持つ彼女を指名した理由は、今回通る山道には並の護衛では太刀打ち出来ないような盗賊一味の縄張りだからだ。そしてその判断はこの状況を見れば正しいと言える。
 積荷も運び手も全て無事、保険として雇い入れた護衛は何人か負傷したが死者は出ていない。これなら朝には目的の城まで辿り着けるだろう。
「……こほっ……」
 手に持った鉄扇をようやく懐にしまい込んだ時に出た小さな咳を耳聡く拾ったのか、女剣士がもう一度「苛楽殿」と名を呼ぶ。血振りをすることなく朱塗りの鞘に納める薄い刃は何人も斬り殺したようには見えぬ程血で汚れておらず、返り血も殆ど浴びていない。刃を鞘に納めた仕込み刀を杖代わりに、彼女は嗜めるような表情で歩み寄ってくる。
「素手で使われるなと言った筈でござる」
「せやかて刀、そうでもせんとまともに動かへんのよ。お前と違うて俺は元々力も体力も滓なんやで」
「お主、それがどれだけ己の寿命を縮めるのか、分かっておろうな?」
 刀は先程まで開いていた藍の目を閉じ、眉間に皺を寄せている。普段はにこにこと朗らかな表情しか見せない彼女がこの時ばかりは珍しく怒っていた。恐らく、これは相当深刻なものだろう。そう思いながら懐にしまった朱塗りの鉄扇を思い浮かべる。原因があるとすればそれしかない。
灼花しゃっかは持ち手を舐めたり素手で触れた分、身体能力を高める代わりに死期を早める。その鉄扇……"水無月ノ鼓動みなづきのこどう"を託した時に某も義父上も忠告した」
「おん、知っとる」
「今まで灼花の所持者たる武将が何人それで死んだか知っているのか」
「それもちゃあんと知っとるで。武器商舐めんなや」
「灼花を侮っているのはお主の方ではござらんか。それは呪いの武器でござる」
 呪い、ねぇ。その言葉を聞いて震え上がるようなタマではないが、あながち呪いと称されるに相応しい武器であることは十分に理解しているつもりだ。自分なりに。

 灼花とは。室町幕府の世に居た十二人の偏屈な職人によって生み出された十二の武器のことである。特徴としては総じて血のような色の朱塗りの武器であること。それに併せて武器のどこかに必ず大字と花暦の模様が刻まれていること。十二の武器それぞれに陰暦の名と体の部位やそれに近い名が与えられていること。自分の持つ鉄扇であれば牡丹の模様があしらわれた"水無月ノ鼓動"、刀の持つ仕込み刀であれば萩の模様があしらわれた"文月ノ肋ふみづきのあばら"と言われている風に。
 当時は武器としてと言うよりはその外見の美しさから美術品として大名や公家の愛好家達によって所持されていたり、それらを巡り度か戦も起きたりしていた。それらがぱったりと止んだのは灼花を所持した者が数年以内……最短で半年で命を落とす事例が立て続けに起こったからだ。加えて灼花を持つ家の者が突然気が触れたように「亡霊が見える、化け物が何か言っている」などと喚き狂ったたり、災いを呼ぶ呪われた武器と呼ばれる所以となった理由もそこから来ている。
 灼花を知ったのは同じく村に住む直の者、七兵衛という盲の老忍から直々に依頼されたことがきっかけだ。所持者が変わり続けて人から人へ渡り、各地へ散ってしまった灼花を入手してこちらの管理下に置くこと。取り戻した灼花は七兵衛が認めた者であれば好きに使っていいとのこと。何故灼花を集めているのかは分からぬが、依頼金は悪くない額だったのと噂の武器に興味があったからとりあえず引き受けたのが始まりだ。それがいけなかった。
 この鉄扇、水無月の鼓動もそうしてどこぞの武家から買いつけた品だが、これがなかなか使い勝手の良い武器で。素手で持てば腕の力が増す気がするし、扇を開いて顔を煽げば全身の気怠さが消えて力が漲る感覚に気持ちが昂る。思い通りに体を動かせることのなんと気分の良いことか。幼い頃から病床に臥せがちだった身としては健康な体が酷く羨ましく、それを容易に手に入れられる奇跡のような武器が手に入ったのだとこの時ばかりは喜んだ。無理が祟って血を吐くまでは。

「なぁ刀」
「何でござるか」
「俺、後何年生きられると思う?」
「知らぬ。自分が一番よく分かっているのではないか?」
「……せやな」
 本当はとうに知っている。後数年もすれば体は使い物にならなくなるであろうことも、もしかしたら突然心の臓が止まってそのまま死ぬかもしれないということも。呪い、と一括りに非現実的な言葉で己の運命を決定づけるのは些か不服ではあるが、実際問題この灼花に徐々に体を蝕まれていたことは事実であり、更に悪いことにこの呪いは異常な中毒性があって使う程に手放すに手放せなくなる厄介な代物だった。もうこの鉄扇が手元に無いと落ち着かなくて気が狂いそうなまで、自分の体は呪いで雁字搦めにされている。
 元々体に抱えていた病も完全に癒えぬまま騙し騙し今まで生きてきたが、ここ数年は己の先はそんなに残っていないのだと悟ってしまった。それは刀の言っていた通りに灼花を侮っていた自分の過ちであり、灼花の恐ろしさに自棄になって自分の命を顧みない行為を何度も行ってきた報いだと思っている。
 死ぬのは怖くない、と思っていたが。ただ、一つ。心残りがあるとすれば。
「刀、俺が死んだらおしゅらや梔子って子のこと、よろしゅうな。あの子ら……俺の店、守ってくれてはるんや」
 だから……、そう言おうとした途端、どすっと後ろから思い切りどつかれた。
「あっだぁ!? 何しよるんお前! そんな奴やないやろ!」
「巫山戯たことを抜かされたので腹が立ち申した」
「何を……」
「自分で蒔いた種は自分で育てるなり刈り取るなりすれば良いでないか。お主にはまだ時間があるでござろう」
 某、大人の面倒は見ないでござる、と刀はぷいと向こうを向いて馬車の方へとすたすたと歩いて行く。
「……育てても、ちゃんと巣立つか見れへんて……俺は」
 そこまでの時間は自分には残されていない。けれども心残りがあるとすればあの二人のことだ。朱楽は放っておいても誰に教わらずとも一人で生きる術を身につけている。ある意味では自分より逞しい。
 けれどもあの子はどうだろう。一人で大丈夫だろうか、誰かに騙されたりして損をしないだろうか、頭は悪くないだろうから残された時間で教えられることを全て教えた方がいいだろうか、そんなことがぐるぐる頭を回る。始めは気まぐれだったのと単純に手伝いが欲しくて雇ったというのに、くるくると真面目に仕事をこなしたりたまに菓子を与えると心なしか喜ぶようになっていった姿に知らぬ間に愛着が湧いてしまい。時たま血を吐いてしまう姿を見せてしまった時に、裂けた口を見ても何も言わずに布を当てがってくれたことには感謝と申し訳なさが混在しており。
 実妹に兄として何もしてやれなかったことへの罪悪感もあったせいで自分でも甘やかし過ぎだと思うくらい可愛がってしまった。そんな子を置いて自分は自棄くそに命を消費して死んでいくのだと思うと、自分自身に腹が立ってくる。なんて無駄な命の使い方をしていたんだと、やるせなさと虚しさが込み上げてくる。自分のせいであの子に悲しい思いをさせてしまうのではと考えたら尚更自分が許せない。
「……もうちょい早う会ってたら、もっと長う生きようとか思えたんかな、俺」
 けれどもここまで来てしまったから仕方がない。時間は止められも戻せもしないのだから、残された時間で足掻いていくしかないのだ。
「まずはさっさと仕事終わらせにゃなぁ。ほんで町に戻って梔子の好きな菓子でも買うて帰るか……」
 ひとまず夜明けまでには城下町には着いておきたい。口元を覆う狐の半面を被り直し、苛楽は一度伸びをしてから停めていた馬車へと戻って行った。


※補足
灼花の呪いは超常現象の類ではありません。直接手で触れたり口径摂取等で体内に取り込むと一時的に身体能力を飛躍的に向上させるが、副作用として身体機能や生命維持に関わるに様々な障害が現れる成分が朱塗りの塗料に含まれています。謂わば興奮剤に近い蓄積型の毒です。副作用は幻聴・幻覚・頭痛・吐気から始まり、深刻化すれば嘔吐・麻痺・激痛を伴う臓器障害・各部からの異常出血といった生命活動に支障が出るものになり、最終的に死亡してしまいます。
刀は手袋をすることで可能な限り接触することを避けていますが、苛楽はその成分や中毒性を知った上で摂取し続けたので肉体がぼろぼろになってしまい、将来的に自分の持つ武器……灼花と元々の持病によって命を落としてしまう結末となっています。

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