笑うようになった日〈◇刀〉
漫画2p〜3p目辺りの刀の心情。ふんわり直轄(子)肋木くん、お名前だけ江ヅさんお借りしました。
──僕は君と友達になったことはないし、これからもならない。
一瞬、何を言われたのか分からなかった。思考停止とはまさにこのこと。全身が凍りついたように固まり、足元がぐらぐらと揺れているような感覚。
衝撃。これはそう呼ぶのだろうか。恐らく眼前にいるであろう少年の冷たい声色が明らかに自分を拒絶しているのがようやく分かった時、遠のいていた鳥の声や風の音が耳に届いた。
もういい? 任務があるから、とそれだけ告げて遠ざかる足音。呼び止めようと声を出そうと口を開けた。
「──っ」
声が、出なかった。頭では知っている筈の名前が呼べなかった。代わりに込み上げてきたのは、胸がつかえるような息苦しさ。
知らない。覚えていない。
懐かしさと驚きと嬉しさとほんの少しの悲しさが混ざり合いながら半ば興奮気味にいくら自分のことを話しても、自分の名を名乗ってもそう返された。
別に、と子供の頃に散々聞いた返答を返すことはなくなったけれども、それよりも残酷な現実を含む言葉を浴びせられた。どうすればいいのか分からなかった。
呼び止めれば良かったのだろうか? これ以上なんて話せばいいのか分からないぐらい真っ白になった頭で?
手を掴めば良かったのだろうか? 子供の頃に顔形や体温を知ろうと触れれば振り払われたのに?
「ぁ……」
ぱた、と白洲の上に水滴が落ちる音がした。駄目だ、堪えろ。こんなことで取り乱すな。心をざわつかせるな。お前はもう江ヅ先生にべったりしていた子供でも、盲だ鈍臭いだと馬鹿にされていた見習いではない、忍の一人だ。
乱暴に袖で目を擦れど、次から次へと零れ落ちる温かな水滴。止まらない。止め方が分からない。心の臓が口から出そうな気分だ。苦しい、痛い、冷たい。気を紛らわせる為に深く呼吸を繰り返すと情けなく乱れた息遣いが聞こえてきた。
「っ……ふッ……ぅ……うぅー……っ」
とうとう堪えきれず口を抑えて呻き声を漏らして蹲った。目を開けて地面を見ても、どこもかしこも真っ暗闇に包まれている。
どんな顔をしていたんだろう、どんな目で見ていたんだろう、どんな表情で去っていったのだろう。今更、と無意味なことまで考え始めるぐらい頭の中がぐちゃぐちゃになっている。
たった一つ、分かったことがある。それはあの日、江ヅ先生が嘘をついていたということだけ。『さみしい』を口に出せず、感情のままに当たり散らし、みっともなく泣き顔を晒して大きな体にすっぽり包まれて宥められていたことは今でも覚えている。
気遣われた、悲しい嘘。泣きじゃくる子供をあやして苦しませぬ為に吐いた優しい嘘。彼は戻ってきたではないか。声も背も変わってまるで別人のようだったが、あの軟膏の匂いは片時も忘れたことはない。
「あたしは、ずっと……忘れてない……ッ」
突然いなくなって簡単に忘れられるものか。けれども、あの子はたった数年で忘れられるものなんだ、とやり場のない感情が嗚咽となって虚しく漏れ落ちる。数年は記憶を薄れさせるには十分な時間だろう。ましてや子供の頃の記憶など、あの子にとっては残るようなものではなかったのだと。
ようやく、目の熱が引いてきた。少し乾き始めた目元を雑に拭い、大きく息を吸って吐き出す。
「…………江ヅ先生に、なんて話そうかな」
嘘をつかれていたことに対しては仕方ないと思っている。騙されやすさは忍に向いてない程だと自覚しているし、ああでも言われなかったら納得しなかっただろうと自分に言い聞かせる。思えば一旦泣き出すと本当に聞き分けの悪い子供だった、と羞恥心すら湧いてくる。
けれども、ありのまま今言われたことを話すと彼は決して良い気分にはならないだろう。少し考えて頷く。こちらも黙っていよう。嘘がつけない性分故、下手に取り繕うよりは言わなくていいことは胸の内にしまえばいい。もう心配させる訳にはいかないから。「よし」と気合を入れるように軽く両頬をぱしんっと叩きながら立ち上がる。
踵を返して歩き出す前に耳を澄ませて周囲の音を聞く。あの子の足音はもう聞こえない。忍だから足音や気配を消すのは当たり前か。
「肋木……」
聞こえることのない名を小さく呼ぶ。結局、
「……あたしは覚えているからね、ちゃんと。お前が忘れた分まで」
風の音の中に溶け消えると分かっていながら息苦しさを言葉に乗せて吐き出す自分を嘲るようにへらりと笑い、携えていた杖を着いて医療部隊の屋敷へと歩き始めた。