『刀』になった日〈◇刀〉

見習いが明けて初任務を受けた話。微妙にグロ、胸糞かもしれない。


 初めて人を斬ったのは十五の春だった。冬を終えたばかりで肌寒さが残る季節、あちらこちらで咲き始めた花の匂いが街道で微かに漂っていたことは今でも覚えている。しかしそれよりも濃く、強く残っているのはいつだって血の臭いで。
 べっとりと服についた生暖かい鮮血は戦闘ですっかり冷え、春先の風が吹けばふるりと身が震える。今し方斬り合いをしたくノ一は浅い息を繰り返しながら絶えずこちらへ殺気を向け、ざりざりと土を掻くように身動きする音が耳に届く。斬り合いの中で腕と脚を斬り落とした手応えがあった、もう彼女が戦えるだけの力は残っていない……筈だ。が、殺気を向けられ続けている間は刃を鞘に収める気にはなれない。
「……何故」
 仕込み刀を握る手を緩めずに愚問とも言える問いを零せば、くノ一は渇いた笑いを漏らす。
「……は、何故って? 村の言いなりになっているあんたに分かる訳ないだろ……」
「……某、お主のことは友と思っていた」
「ああ、あたしもさ……」
「なら、何故……」
 見習いの頃に出会い、共に切磋琢磨した仲の彼女。斬ることや気配を周囲に馴染ませることぐらいしか突出した才が無い自分と比べ、常に彼女はくノ一の模範たる姿を示してくれた。
 見習いが明ければこのまま共に村の為に尽力できると思っていた矢先、彼女は見習い期間が明ける前に村を抜けた。友であった自分にすら何も告げず。しかも村と敵対する忍集の男と連れ立って。
 所詮はおなごであったか、経験が少ないから男忍にまんまと誑かされたのだ、と諜報と直轄の会話の殆どが彼女を非難する言葉ばかりで、誰も彼女を擁護する者はいない。当然と言えば当然なのだろう。
 敵と連れ立って村抜けをした、それだけで判断に事足りるものはない。
「……刀、あたしはあんたが憎い」
 くノ一が喋る度にびちゃびちゃと血が飛び散る音が聞こえてくる。腕と脚を斬り落としたのなら、流れ出る血は相当なものだ。ここが町から数里離れた人気の無い場所であることも考えれば、放っておいても助からないことが目に見えていた。自分はその姿を初めから見ることができないが。
「……理由は?」
 普段の自分であるならば深く傷ついた言葉すら、この時ばかりは特に何とも思わなかった。まるで当然のように。
「……あんたは、あたしから奪った……あたしの、やっと見つけた……あたしだけの幸せを……」
「村長様の命でござる」
「こ、の、人でなしィッ!」
 掴みかかろうとする殺気と気配、音が聞こえたと共に反射的に刃を振るう。手応えがあった。短い悲鳴と共に肉の塊が落ちる音が近くで聞こえた。恐らくもう片方の腕を斬り落とせたのだろう。噴き出した鮮血が顔面と上半身を濡らすのを感じた。生暖かい。それでいて噎せ返りそうな濃い鉄錆の臭い。少しでも気を緩めれば吐いてしまいそうだ。
「某は人ではない」
「う……うぅ…………返せ……返してよぉ……」目の前で崩れ落ちるように座り込むくノ一の啜り泣く声がした。
「……すまぬ。村長様の命は絶対だ」
「なら……どうして、あたしを……"最後"にするのよぉ…………っ」
「……お主の帰りが、一番遅かった。それだけでござる」

 十五の春、初めて人を斬った。斬ったのは三人。一人は村と敵対する忍集の男。もう一人は見習い時代に切磋琢磨し合った友と呼ぶべきくノ一。そしてもう一人は──、
「冬の終わりに……産まれたばかりだったのよ……ねぇ……どうして……」
「……命令だから斬った。『敵に靡いた者の血は残らず絶やせ』と」
 敵同士の忍は愛し合っていた。故に二人で逃げた。互いの属した組織から追われることを覚悟の上で。一年にも渡る逃亡の果てはこの結末。やっと掴んだ幸福を、自分は全て奪い去った。命令だから。それが"刀"として生きる最後の覚悟を決めるよう義父がわざと自分に回した御勤めだから。もう、後戻りはできないのは自分も同じだった。
「刀……あんたは、すっかり化け物に、なっちまったね……」
 渇いた笑いの後、くノ一は静かに告げる。
「よく……虫を踏み潰すような……平然とした顔で、あたしの旦那と……赤ん坊を斬れたね……。はは…………あんたは、もう人じゃなくなったって訳か……」
「……そうでござるな。元より、刀と名乗った時点で人を辞めている」
「はっ……よく言うよ……普段は、人懐っこい顔で周りに……ベタついている癖に……」
 気味が悪い。はっきりと告げられた言葉は心からの侮蔑の色を含んでいでいて。
「あんた、は……地獄に、堕ちる……よ……いつか、必ず……」
 嘲笑の声が耳に届く。分かっている。これは罰だ。自分の命惜しさに殺しの技を磨き、村に仇なす裏切り者を殺し、人の心を捨ててまで自分だけは生き残ろうとした愚か者への罰。
 おもむろに仕込み刀を持つ手が上がる。目の前のくノ一の気配はもう逃げる気力すら無いのか微動だにしない。あるいはもう息絶えてしまったのだろうか。どちらでもいい、必ず止めはこの刃と決めている。迷うことなく身体は忠実に勤めを果たそうと狙いを定める。
「──さらば、我が友よ御命頂戴致す
 無慈悲に振るった死は、友の首が落ちる音をしかとこの耳に届けた。

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