『さみしい』は見つからず〈◇刀〉
刀が感情を制御できずに人にぶつけたのが珍しくて書き起こしました。子肋木くんが去っていった時のお話。セリフ増量脚色強めなので都合悪ければパラレル扱いで……(
▼お借りした方
若江ヅさん
(お名前や存在だけ…)子洗朱くん、子肋木くん
別れはいつも唐突に訪れる。いつものように迎えた朝、友人の肋木が村から消えた。友人と言っても刀が一方的にそう思っているのであって、他者から見てそういう間柄であるのかは定かではないが。
その友人が数日経っても彼は戻ってくることはなく、刀は普段通り医療部隊のいる屋敷で一日の大半を過ごしながら肋木を探しに出かけた江ヅの帰りを待つ。始めは屋敷の中を探していたのだが、捜索範囲が村やその外れまで及ぶと仕事の合間を見つけては探しに出るようになり、刀は縁側に腰掛けてぼんやりと外の音を聞きながらその帰りを出迎えるようになった。
江ヅから聞かされる芳しくない結果と詫びの言葉に落胆の色を悟られぬよう甘えるように彼の懐へ埋もれに行くと、ひとしきり抱き締められ撫でてもらえる。幾分か気が紛れた頃合いを見計らって離れると江ヅが仕事へと戻って行き、日が暮れて寝る頃まで同じく屋敷で過ごしている同年代の洗朱と他愛のない話をしながら共に夕餉を食い、質素だが清潔な床に就いて眠る。最近は二人揃って江ヅに添い寝を頼んでいる。どちらとも言わず、ぴとりと大きな体にくっついて温もりを分かち合いながら眠るのだ。それだけで十分に穏やかな気持ちで体を休めることができる。
それでも、胸の中に小さく穴が空いているような感覚は埋まることなく日々広がっていっているような気がする。明日こそ、明日こそは。あの軟膏の匂いを漂わせながら。どこに行っていたの、と聞いたらいつもみたく「別に」と答えてくれるだろうと。そんな淡い期待を抱きながら眠りにつく日々を過ごす。
しかし、そんな期待もやがては不安に変わっていって。ある日からぱったりと江ヅが肋木を探すことをやめたことがきっかけで、口にしないようにしていた疑問を恐る恐る尋ねた。
「せんせ、肋木殿は……戻らぬのでござるか?」
部屋には自分と江ヅしかいない。この問いを口にする時に誰かがいるのが気まずくて、わざと一人で彼の元を訪ねたのだ。
「刀……」
「せんせ、何で探すのやめちゃったの?」
養父から教わった尊敬語が消え、年相応な子供の口調に戻る刀。その質問に江ヅはどう答えようか口元に手を当てる。閉じられてはいるが、光を映すことのない目は真っ直ぐ彼へと向けられている。
「あたし、あの子にもう一回会いたい」
純粋にその言葉を口にする。
「あたしの中ではあの子のこと、友達だと思ってたけど……相手にとってはそうじゃなかったんだって思ったら、ちゃんとごめんなさいしたい……」
単に洗朱と同じく最初は無口な子かと思っていた。けれどもどんなに話しかけても触れてみても決まって返ってくるのは沈黙、無感情の反応、良くて「別に」の一言。自分としては仲良くなりたくて良かれと思って接してきたことが、逆に迷惑がられていたと考えたら胸の内が苦しくなる。嫌われていたら……そう考えると悲しくなる。
あの子の心を最後まで理解できなかった罪悪感が重くのしかかり、胸の内の穴に深く落ちていきそうな気分になる。けれどもそれは自分だけが思っていることだ。本当の友になるにはどうすれば良かったのだろう、どうすればもっと分かり合えたのだろう。
「『悲しい』とか『苦しい』って思うのは、あたしだけの気持ちでしょ。それじゃあいつまで経ってもほんとの友達になれないから、ちゃんと相手を理解りたいの。だからね、せんせ──」
「刀」
江ヅは刀の話を遮るように呼ぶと静かに刀に近づき、小さな両肩にそっと手を置いた。
「もう、忘れなさい」
刀の目がゆっくりと見開かれた。動揺で揺れる瞳には何も捉えることができない。
「なんで……?」
「……あの子のことは忘れなさい。お前さんが苦しむ必要はあらへん」
「なんで……? そんなこと言うの……?」
繰り返すように疑問を呟いても江ヅは次の言葉を探すように小さく唸る。その僅かな時間ですら刀にとっては長く感じた。頭が江ヅの言葉を理解するのを拒絶している。暗い夜道を先導してくれる為に繋がれていた手を解かれたような気持ちだった。
「……ゃ、だ……」
駄目だ、これ以上は。絞り出すような声で漏れ出た言葉を皮切りに膨らみ上がる感情が爆発し、全身の血が頭に昇るような感覚と共に刀は声を荒げる。
「……やだ、やだ! 忘れないもん! 絶対忘れない!」
「刀……」
飛びつくように江ヅに突進し、やり場のない衝動に突き動かされるまま小さな拳で何度も厚い胸板を叩く。今まで堰き止めていた水が一気に流れ出るように、感情が、涙が、言葉が溢れて止まらない。
「まだお別れしてない! ばいばいも言ってない! 何でどこにもいないの!? 何で忘れろって言うの!? 分かんないよ! あたしにも分かるように言ってよ! そんな死んだ人みたいな言い方しないでよぉッ!! せんせのばかぁッ!!!」
捲し立てるように喚き散らし、小さな体から発せられるようなものとは思えない声量のまま悲鳴を上げるように泣き始める。こんなことを相手に言うこと自体、間違っているのは分かっているのに。あまりに子供じみた情けない感情だということも分かっているのに。振り上げた拳の降ろし方が分からない。
「ゃだよぅ……っ、急にいなくなっちゃやだぁ……ッ!」
十一にもなるというのにまるで三つの子供のように感情を剥き出しにしてわんわんと泣く刀を、江ヅが静かに両腕を伸ばして抱き締める。大きな体にすっぽり包まれたことで叩くことができなくなった刀の両手は、縋りつくように江ヅの着物を強く掴んで大声で泣き続ける。
泣く内に少しずつ江ヅの言葉が染み込んでくるように頭が理解していく。もうあの子は戻ってこない。帰りを待つ必要もない。そのことで心を痛める必要も、もうない。だから忘れろと。その方が苦しまなくていいからと。
それができればきっと楽にはなれるだろう。けれども自分にはそれができなかった。忘れたら本当に居なくなってしまうような気がしたから。誰にも知られぬまま病で死んでしまった自分の家族や故郷の村の人間のように、有象無象の一つのように誰にも気に留められずに忘れられていくのが怖い。だから忘れたくないのだ。例え一生その姿を見ることがなかったとしても、二度と会えずじまいだったとしても。
江ヅにそう伝えたかったのに上手く言葉にならないもどかしさと制御のできない感情のままならなさに泣くしかできなかった刀は、しばしの間赤子のようにしがみついて泣き続けた。
*
数日の内に流行病で家族を喪い、唯一生き残っても病の熱で両の目の光を失い、慣れぬ身のまま手探りで日々を過ごしてきた子。熱に魘され目覚めた時には家族との別れの覚悟はおろか、何も知らぬままたった数日で己の世界を形成していた悉くを奪われてしまった子だ。そんな中で出会った同年代の子の存在はささやかであれど、どれだけ己の境遇を嘆かずにいられる救いになっていたことか。
たった半年、されど半年。共に過ごした期間はそう長くはないが、いくら素っ気無い態度が目立ったとはいえ弟のように可愛がっていた子が一人でも突然消えてしまったら、何よりもそれが彼女が恐れていたことであったなら。かけてやる言葉が見つからない。考えを尊重してやりたい気持ちがあっても、あまりにしてやれることが少な過ぎた。
「あの子はまだ十二歳になっとらんから」
頭を撫で、泣きじゃくる刀を落ち着かせるようにゆっくりと語りかける江ヅ。今できることは、この幼子が自分の感情に押し潰されないように抱き締めてやることぐらいだ。
「ここにいないということは、そういうことや。分かるな?」
「せん、せ……」
諭すような口調で優しく語りかければ、次第に刀のしゃくり上げる声が小さくなっていく。
「そ……っか……同い年、だったね……」
涙と鼻水でくしゃくしゃになった真っ赤な顔はそっと江ヅから離れると、小さく唇を噛んだ。必死に己の中の感情を御しようとしているのだろう。光を映さぬ目の中で揺らいだ鉛の色は、次第に落ち着きと諦めに染まっていく。
「村から出て行ったってことは、別に帰る場所があるってことなんだよね」
そうだよね、せんせ? と縋るように純粋な目で尋ねられれば「……ああ」と頷くしかできなかった。それが果たして正しい回答だったのかはさて置き。取り出した手拭いで刀の顔を拭いてやれば、泣き腫らした目がにこりと笑っている。これ以上迷惑をかけまいと無理やり笑っているのが見てとれるほど、ぎこちない笑顔だった。
「怒ってしまって……ひどいこと言って、ごめんなさい、せんせ」
「私も、上手く言えなくてすまんな」
ううん、と刀は首を振りながら気恥ずかしそうにもう一度江ヅの首に細い腕を回す。
「……あの子は、肋木殿は、あたしとは違う道が選べる子だもんね」
「……ああ」
「じゃあ、帰る場所で待っている人がいるんだ……いいなぁ。そこで幸せに暮らしていってほしいなぁ」
ぼんやりとした口調で呟く刀の言葉に江ヅは「……そうやな」とだけ答え、少しだけ力を込めて彼女を抱きしめた。
自分とは違う道を選べる。生きる為に始めから忍にならざるを得ない道を選んで村へやって来た刀にはもうここから抜け出す選択肢は残されていない。対して肋木は違う。村で忍になる道以外に外の世界で忍と関わることのない道を選べる人間だ。ならば後者を選んで心穏やかに生きてほしい。戦乱が続く世でもどうか心穏やかに過ごしていってほしい。刀の語る言葉の意を汲んだ江ヅは一人苦い表情を浮かべていた。
恐らく、刀の願いは届くことも叶うこともないだろう。心当たりがあまりにもありすぎて、彼女の願った未来が想像できない程に。きっとあの子は忍になる。きっとまた村へ戻って来る。腕の中にいる幼子はそんなことなど露知らず、宥める為に吐かれた嘘すら全て信じきってしまっていて。
──けれども、これで良かったんだよな。
今は、今だけは、そう思うことにしよう。そう自分に言い聞かせるように江ヅは真っ白な刀の頭を優しく撫でた。