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不登校中期の頃 【トラウマ返し】

息子の心を無視し、自分の駒のように動かしてきた私。
自分の感情を心にしまい込んできた息子が、コンプリメントを続けることで少しずつ自分の気持ちを私に話すようになってきていました。
時々一緒に夕飯の買い物に付き合ってくれ、その車の中でも、

「ああ、今頃みんなは学校の時間なんだよな。みんな何やってるんだろう。」
「俺は今、なんでこんなことしているんだろう。」

などという言葉が出てくるようになってきていました。
コンプリメントトレーニングを始めてから一カ月くらい経っていました。
そろそろ電子機器制限の説得をしないといけない時期にきていました。
ある日の夕飯の後、電子機器について説得を始めた私に猛反発。
「ふざけるな!」「俺の人生好きな事をして何が悪い!」
「俺はお前を親だとは思っていない!」「この家から出ていく!」
などと大きな声を出しはじめました。
始めのうちは黙って聞いていたのですが、だんだん私も同調してしまい、「自分がやることもやらないで家にいて、ゴロゴロしてゲームばかりやってて自己主張ばっかりしてんじゃねーよ!」と言い返したところから大ゲンカに発展していきました。

「どうして俺がお前を親だと思わないかを教えてやるよ!俺は親の離婚のせいで一度目の転校をした。(あんなに不仲だった私の実家へ戻りました。)俺はお父さんが大好きだったけれど、お前はお父さんの悪口をずっと言っていた。転校してからは今度はお前らのジジババとお前がケンカばかりするようになり、お前の実家にも住めなくなり再度引っ越しと転校をすることになった。一度目の転校で俺はたくさんの友達ができていたから二度目は転校したくなかった。お前は、あんたは社交的だからすぐ友達ができるからいいよねなんて言っていたけど、んなわけねーだろ。目の前のことに逃げずに戦えとよくお前は言っていたけれど、何か人とトラブルがあるごとに逃げて、子供を振り回して自分の都合のいいように移動させていたのはお前だ。お前が逃げるのは勝手だけど、俺はお前が離婚することになったとしても転校はしたくなかった。おれはその時小さかったし、お父さんにつくかお母さんにつくかの決定権はなかったんだろうけど、俺にも心があって、どっちで暮らしたいか自分の意志で決めたかった。決めれなかったとしても俺の気持ちを聞いてほしかった。小学校で二度も転校させられた俺の気持ちなんてわからないだろ!」
「次は中学。俺はスポーツを志して東京の中学に進学した。確かにその中学は日本でも有名な強豪なのは知っていた。でも、今度は二度目でせっかくできた友達ともまた離れなきゃいけなくなった。強豪校に行くよりもみんなと一緒がいいなと思う自分もいた。最終決定を自分にさせてほしかったのに、知らない間に住所も東京になっていて、俺の学校なのに選択権もなかった。でも俺は必死に上達を目指して頑張った。顧問に罵倒されたり暴力を振るわれたりもしたけれど自分の上達のために必死だった。コロナ禍で目指していた全国大会も中止になり、次はお前は受験勉強に対してうるさくなった。俺は今までスポーツしかやってきていない。土日となれば毎日12時間くらい体育館で練習し、平日も朝6時から自主練に行った。夕方部活が終わってからも自主トレや自主練で忙しかった。365日のうち、自分に与えられたオフ日は2~3日しかなかった。ずっとスポーツしかしてこなかった俺は、俺なりに危機を感じていたけれど、勉強といっても何から手を付けていいかもわからなかった。そこにお前は次に入るべき有名高校の名前をだして、”合格”と壁に貼り、塾へ行かせた。俺の学力じゃ絶対入れない高校だった。それでもスポーツでは都内でも有名な強豪だから俺はそこへ行きたいと思った。でもがんばれない自分もいた。周りの〇〇くんは毎日6時間勉強してるよ。あんたもせめて毎日4時間しないと行く高校すらみつからないよとお前は言ってきた。次から次へと無理難題が襲い掛かってくる。逃げたくても逃げられない重圧に俺はどれほど苦しんでいたかお前にはわからない!もう何もいならい。お前もいらない。ほっといてほしい。このまま死にたい。俺は何もできない人間のクズだ。」

と大泣きしながら、ありったけの自分の気持ちを私にぶつけてきたのです。
まさに、これが不登校になった原因なのです。
私の間違った子育てが子供の心のコップを破壊し、水をためる器すらない状態にしていたのです。
子供の話を聞いている間は私は涙が止まりませんでした。この子が感じていた苦しみをちっともわかろうとしてこなかった母親だったからです。

この気持ちを理解せずして、子供に寄り添わずして、電子機器の制限などできるはずはありません。いくら私が「あなたを助けたい」「順当に導くため」とは言っても心に届くわけがありません。息子は一生懸命お母さんの期待に添うよう血と汗と涙を流し、心を削って生きてきたのです。その気持ちを踏みにじりながら「よくできる理想の息子」を自分の価値観で作り上げようとしていたのが私なのです。
きっと、私の小さい頃の家庭環境の影響があります。弟は不登校で、家庭内暴力が絶えませんでした。こんな子に「だけ」はならないように厳しくしなければ!とずっと思っていました。

~しなければ。
~させてはいけない。

この呪縛から脱するためのコンプリメントトレーニングに出会えた私はとてもラッキーだったと思っています。
Twitterなどでも悩んでいる方がたくさんいらっしゃいます。
一人でも多くの方が、気づきになるnoteになりますように・・・
つたない文章で読みづらいながらも記録として残していきたい・・・
そんな風に思っています。

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