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新三郷から「夢空間」が出発するので

こんにちは。
ナカガワアオです。
YouTubeへ動画投稿をしています!

憧れの電車

突然ですが、皆様の心の中に憧れの電車という概念はありますでしょうか。
このnoteを読んでくださっている方はきっと鉄道に明るい方も多いと思いますので、その答えは世間一般とは異なるはずですが、それでも満場一致で「ある」とはならないはずです。

しかし、誰しも各々が思う特定のジャンルの中で「憧れ」はあると思われ、そしてそれはやはり特別なものであるはずです。

なんとなくお察しいただいている通り、「夢空間」は多くの鉄道が好きな人にとって、まさに「憧れの電車」でした。

残念ながら過去形です。
「夢空間」の引退は2008年のこと。
とはいえ、それはそれから年月が流れ「夢空間」を超える電車がたくさん走っているからではなく、もう乗車することが叶わないためです。

「夢空間」に乗って遠くへ行く。
そこにこそ確かな「憧れ」がありました。
車両の存在そのものも十分惹きつけられるのですが、やはり鉄道ですから、移動できることにその意義があるわけです。

「夢空間」とは

本気で語ると大変なことになってしまいますので、簡単に。

「夢空間」とは1989年に次世代の寝台列車の方向性を探るためJR東日本によって製造された、言わば実験車です。
寝台車、ラウンジカー、食堂車が1両ずつ、計3両の客車が存在します。

しかし、この3両だけでは寝台列車として成立しないため、例えば北斗星に連結されて「夢空間北斗星」として運行されていました。

このため、「夢空間」とは単に3両の客車を指す場合と、3両の客車が繋がれた編成を指す場合がありますが、このnoteでは前者の解釈です。

また「夢空間」は客車であるため、冒頭の「憧れの電車」には該当しないのではというお叱りにつきましては、電車の定義からするとその通りなのですが、ここでの「電車」とは「鉄道車両」を柔らかい言い方にしたものとお考えください。

「憧れ」故に

たくさんの人にとって憧れだった「夢空間」。
そのため、なんと3両全てが(走行できませんが)保存されています。
そして、2両が(執筆時現在)新三郷にいるのです。

保存という行いはとても難しい

2008年に引退した「夢空間」。
これを綺麗に保存することは大変な努力が必要です。

実際に新三郷の2両の「夢空間」はピカピカではありませんが、朽ち果てているわけでもありません。

おそらく大した利益を生まないどころか、確実に場所を取るこの2両を処分せず、朽ち果てないように、見ていられるような状態に保ってくださっていたことは、非常にありがたいことです。

舞い込んできたニュース

新三郷でピカピカではないものの、大事にされていた「夢空間」。
しかし、それが永続するとは考え難く、どうなってしまうんだろう。
そんなことを思っていた方も多いはずです。

そんな中、衝撃のニュースが。
なんと、清瀬市がかなり強力な修復の上で2両を連結し再整備する公園の屋根のある場所で保存することを発表しました。

新三郷の「夢空間」は商業施設の中。
上の内容につながりますが、利益を考えたら駐車場にしようという案がいつ出てもおかしくありませんし、出ていたかもしれません。

対して清瀬は修復の上、屋根のある市営の公園。
「夢空間」にとっては後者の方が良いでしょう。
ただし、繰り返しになりますが、新三郷の方もまた「夢空間」を大切にしてくださっていたはずです。

「夢空間」の歴史の中で

言うまでもありませんが「夢空間」がより良い状態になるのは良いことです。
しかし、「夢空間」にとって新三郷はその歴史の中で長い時間を過ごした場所でもあります。
そのため、新三郷で「憧れの電車」をこれが最後だと分かった上で見ておくことも重要だと思いました。

1年ぶりに

1年ぶりに訪れた新三郷。
それは「夢空間」と1年ぶりの再会を意味します。

新三郷は全く行かない場所ではありません。
むしろ1年もこの地に足を踏み入れていないことに驚きました。

駅側の入り口ですぐにラウンジカーが出迎えてくれます。
駅風のデッキが設けられており、車内にも気軽に入ることができ、休憩室に近い使われ方をしています。
それでも、知識があれば、椅子こそ異なれど、往時を想うことができます。

しかし、普段開放されていない「夢空間」の食堂車に入るのはさすがに初めてで、訪れたその日は、新三郷で「夢空間」の食堂車に入ることができる最後の日でした。
ちなみにサムネイルの画像は、そのインベント終了後の消灯式にて、消灯直前に撮影したのものです。

新三郷から「夢空間」が出発するので

清瀬へ向けて、まもなく「夢空間」は出発します。
長くいた新三郷に戻ってくることはもうないでしょう。

例え状態が良くないとしても、もはや「夢空間」にとって新三郷は歴史の一部。
だから新三郷の「夢空間」に会いに行った。
長いこのnoteですが、内容としてはそれだけです。
しかし、「憧れ」に向けて行動した、行動できた、それに対する記録が本質にあります。
行かなかったら、きっと後悔していたでしょう。

次は清瀬

次会うときは綺麗になったときに。
そしてその場所は、おそらく清瀬でしょう。

新三郷での「夢空間」は良くなかったと言われる日が来るのでしょうか。
そう言われてしまうことは悲しいですが、「夢空間」に対してそれだけ素晴らしい修復を清瀬が実現してくださったら嬉しいですね。

おわりに

冒頭でもお伝えさせていただきましたが、YouTubeに動画を投稿しています!
チャンネルのリンクはこちらです。

きっとこのnoteの内容も動画にするでしょう。
完成した暁にはこのメッセージの代わりに動画を埋め込んでおきます。


さて、このnoteはこのあたりで。

ここまでご覧くださり、ありがとうございました!
またお目にかかれれば幸いです。

それでは、また!


ナカガワアオ

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