入らない墓
夫と私は故郷が同じ土地なので、帰省するとそれぞれの実家に寝泊まりする別居生活である。
自分では別にそれで普通だと思っていたが、世の中思った以上に故郷が違う夫婦の方が多いらしく、私たちの話をすると「変わってるねー!」とか「うらやましい!」とか言われる。
結婚13年目だが、義実家に行った回数など片手で数え上げられる。
今日は盆なので、これまたやはりそれぞれの家で墓参りに行った。夫は私の実家の墓には来ないし、私は夫の家の墓に行ったことがない。まぁ、夫が来ないのは私の実家の墓が市外だという事情もある。
今日は私の実家、父方の墓参りに父と2人で行った。母は宗教が違うし、私の弟妹は忙しいし、関東暮らしの父の兄一家はもはや滅多に帰ってこなくなってしまったので、行けるのが父と私だけなのだ。父を1人で行かせるのはさすがに不憫が過ぎるので、私が行けるうちは付き合ってついていこうと思っている。
ふと、「ここは私が入る墓ではないんだよな」と気づいた。おそらく私が死んだら、夫の実家の墓に納骨されるだろう。或いはあまりに悲しんだ夫が、私だけの墓を建立するかもしれない。
いずれにせよ、私は実家の墓に入ることはないだろう。
不思議なかんじだ。父も母も妹も弟も家族なのに、死んだらバラバラになってしまう。まぁ、父と弟は一緒の墓かな?しかし物理的に全員揃って一緒にいられるのは生きているうちだけなのだな、と思った。
では墓とは何のためにあるのだろう。
「たしかに生きた人がここにいたのだ」というフラッグ以上の働きはあるのだろうか。
とか考えてしまうと、私は自分の遺骨はダイヤモンドに加工して夫に持っていて欲しいな、と思ってしまう。
私たち夫婦には子供がいない。つまり、「末代」ってやつだ。どこまで行っても夫と2人きりの生活で、どれだけ頭を絞って可能性を考えても、おそらくは私の方が早死してしまう。実際私は既にがん患者だし、わりと危なっかしい生き方をしている自覚はある。
同じ飾りならキラキラした宝石になりたい。
そんなことを考える、涼しい盆の午後。
オワリ
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