文章供養
私はオンラインカウンセリングを利用しています。
ビデオ通話するタイプではなく、メールを往復するようなタイプのやつです。
そこに先月書き込みした文章が、いつまで経っても頭にこびりついてる(書いたの自分なんだからそらそうか)ので、
供養のためにここに置いておきます。
念の為なのですが、何の盛り上がりもオチもない文章です。
それでは、以下。
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○○先生
お久しぶりです。
ここ最近はメンタルの不調がありつつも、なんとか生活できています。
今日は、お話を聞いて欲しくて書き込みしました。
大昔に終わった、恋の話です。
高校の頃、一時期生徒会の一つ上の先輩のKという男性と付き合っていました(因みにこのKは夫の同級生で、生徒会でも一緒でした)。
なぜ私がフラれたのかは未だに私にもはっきりわからないのですが、タイミングとか、価値観の相違とか、たぶんそういうものだったと思います。
でもKは、別れてからも普通に優しく接してくれるのです。フッた後ろめたさか、元々の彼の性質か、たぶん両方でしょう。私がフラれた数ヶ月後の私の誕生日に、Kから熊のぬいぐるみをもらいました。まぁ、これが「こんなんくれるくらいなのに何でフッたん??」という疑問を更に深くしていくのですが。
23、4歳の頃、精神科病棟に数度入院していたのですが、Kはいつも面会に来てくれました。他愛のない話をして帰っていく、それだけです。家族と恋人(現在の夫)を除いて、面会に来てくれる友人はKだけでした。
ここまで読んでいただいて何となく察しがつくかと思うのですが、私はKのことがいつまで経っても好きでした。私に恋人がいてもです。夫(当時は恋人)は、そんな私をなんとなく受容してくれていました。夫にも、忘れられない昔の恋人がいたからです。
先日希死念慮が来た時にもう人生おしまいにしよう、でも最後にKにはその旨を伝えたいと思い、LINEを送りました。
“I decided to die"
すぐに電話やらメッセージやらが来て、話を聞いてくれました。無理矢理聞き出すわけでもなく、冷静に、淡々と。
最後に「次会うまで死ぬな」と。
その一言で私は救われた思いがしたのです。
Kに、会いたかったのです。
ゴールデンウィークは、私は4/24〜5/7に青森へ帰る予定でした。家族に会えることはもちろん、Kに会えることが何より楽しみでした。しかし、4/29の早朝に夫(夫は4/29から帰省する予定でした)から、「38.5℃の熱が出た」との報があり、慌てて広島に戻る新幹線に飛び乗りました。
新幹線の車内から、Kに急に帰らなくてはならなくなったこと、予定空けてくれていたのに申し訳ないと思っていることをLINEしました。
Kの返信は、
「気にするな」
「次遊ぶまで、生きてろ」
と。
次遊ぶまで生きてろ?
なんてずるい言い草だろうと思いました。Kはこの言葉で私を生かせることをよくわかっているのでしょう。私が今でもKを好きなことを知った上で利用してるのでしょう。
でも、今まで医者や親や夫に言われた「死んではいけない」といった旨の言葉たちより、心にストンと落ち着くかんじがしたのです。
結婚してるのに、好きな人がいるのは本当はいけないとわかっているのです。もちろん、好きだからといって何かアプローチ等しようとは思いませんが。私は夫のことだって、好きです。
でも私の中のKは大きくて、それこそ出会えなかったら私はとうの昔に死んでいたと思います。
そういう存在に出会えたこと、少しだけれど一緒に恋をできたことが、今の私の数少ない心の支えです。
あ、ちなみに夫はコロナ陽性で、現在寝室に隔離中です。
私も罹患しないように気をつけます。
それでは、また。
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