ぶどうジュースとグリッリ・マッカラ(クルロス)

 きっかけは2時間ほど前だった。

寝ようとしているクルピンスキーの部屋がノックされた。
 23時も過ぎようというこの時間帯に来客なんて珍しいと思ったら、エディータ・ロスマンが秘蔵のワインやらチーズを抱えてやってきたのである。
 部屋の片隅に置いてある木製の丸テーブルと粗末な背もたれのない椅子。
 二人はそれに腰をおろして最初は静かにゆっくりワインを嗜んでいたのだが――

「ちょっとぉ! あなた聞いてるの!?」
「先生、飲み過ぎだって」
「ひかりさんはまだ未熟なのよ! それをいきなり、戦闘に、なんて。そもそも菅野さんが煽ったりしなければあの子は諦めて帰ったのよ……まったくあなた達ブレイクウィッチーズときたら」
「ええぇ……だって先生が帽子を取ったら合格って言ったんじゃないか」
「そうだけど」
 彼女はククサに注がれた透明なぶどうジュースをさらにあおる。
「確かに菅野が煽りに戻らなかったひかりちゃんは塔の上の帽子を取れなかったかもしれないよ。でも最終的には自分の力で先生の試験を乗り越えたじゃないか。その資質が少しでもあったから先生はあんな無茶な試験をやったんじゃない?」
 基地内にある塔の上にある帽子をストライカーユニット無しで取ってくる。
 それができれば出撃を許可する。できなければ扶桑に返す。期限は一週間だった。
 その約束のもと行われた試験で、最終日に見事ひかりはロスマンの試験に合格した。まだまだひよっこだが彼女は立派な502のメンバーだ。
「それは……そうだけど……」
 どうやらロスマンは自分が出した試験にもかかわらず、ひかりの心配をしていたのだ。
 絶対に帽子は取れないだろう、と。
 諦めさせて”しょせん貴女はお姉さんにはなれない”そう思い込ませて扶桑へ返すつもりだった。
 それでも教えることに誇りを持っていた彼女はどこかで期待していたのだろう。
 無事にひかりが試験を終えて、菅野と共に戦いに参加して、終わった後に少し会話はしたものの、内心ではひかりを危険な目に合わせてしまった負い目を感じていて、自分で自分を許せなかったのだ。
 そんな面倒くさいロスマンが愚痴を言えるのはこの舞台だけではクルピンスキーだけだった。
 ロスマンは無自覚にそんな”弱み”を見せているが、そんなときは決まってお酒に頼るのである。

にしてもロスマンはいつもより飲み過ぎていた。

「ねえ、先生。飲み過ぎだってば」
「ちょっろぉ! あなたものみなさい!」
 いつもクルピンスキーに対して厳しい目つきのロスマンだが、今宵はまるで子供が駄々をこねているような表情に目が据わっている。
 頬はとろんと赤くなり、時折左右に揺れつつも、瞳だけはしっかりクルピンスキーを見つめていた。
「他の人が起きちゃうよ!」
「あなたはいつもそうやって、いいわけばかり! 私のワインがのめないの?」
 そう言って彼女は2本目の白ワイン――リープフラウミルヒの瓶を乱暴に掴むとクルピンスキーの眼前に差し出す。
 その中身はすでに半分以上なくなっており、一本目のフラウの殆ども彼女があけてしまったのだ。
 こうなるとロスマンは止まらない。
 いつもは言葉巧みにひらりひらりとロスマンを弄ぶクルピンスキーも、正面切っての勝負は苦手のようだった。
「わかった。わかったから」
 こんなに狼狽するクルピンスキーも珍しい。
 と、いうよりは酔っ払ったロスマンの前以外では見せないという方が正しいかもしれない。
 観念してクルピンスキーもククサを差し出すとロスマンはワインをつぐ。
 そして今度はクルピンスキーがロスマンへつぐ。気持ち少なめに入れたがもう遅いだろう。
 二人のククサはいつぞやのヘルシンキ出張のときにクルピンスキーが買い揃えたものだ。
 おそろいを買うとまた面倒なことになりそうなので、ハンドルのデザインは二人共違う。
「それにしてもいいの? こんなにいいワインを頂いちゃって」
 クルピンスキーはククサを回して香りを楽しむ。
 熟成されたリースリングのスモーキーな風味に、白樺のウッディな香りが混ざり合い、全身からすっと力が抜けるようだ。
「よくないわよ! 本当はね。あなたにはもったいないぐらいよ」
「そりゃあんまりだよ」
「でもこうでもしないと気持ちが収まらないの……自分の、その……見通しの甘さっていう……」
 言い切る前にロスマンはカップを持って言葉を選ぶ。
「ひかりさんはたしかに合格した。……でも戦闘の経験は無い。もしまたあんなことがあったら。……その可能性は十分にあった。試験には合格したんだからもう少し訓練してからでも実践は遅くなった。あとからそう考えると、私、ぜんぜん、成長してないなって……」
「先生……」
「なんでかしらね。別に隊長に怒られたりサーシャさんに注意されたわけでもないのに。ニパさんや菅野さんも喜んでた。ひかりさんの今日の戦果に、みんなが祝福してたわ。でも、教師としては何が正解だったのか、わからなくなるの」
 ロスマンが自信なく、弱々しく抱えたカップの水面に雫が一滴。波紋が広がった。

「ひかりちゃんはこのワインかもしれないね」

「……どうしたの? 突然」
「ククサは直ちゃん。二人合わせっていい感じの主役になる。僕はその後をついていくチーズかな」
 クルピンスキーはテーブルに広げられたロスマンのコレクションを指さしながら静かに語る。
 まるでおとぎ話を子供に読み聞かせするように。
「私は? キャビア?」
「先生は……うーん。そうだな」
 ククサをテーブルに置いて腕を組み、真剣に1分ほど考える。 
「テーブル」
「なんでよ」
「みんなを支えてくれる」
「それはサーシャさんやジョゼさん、下原さんの方が適任じゃないの?」
「そうかもしれないけど、僕の中では先生が適任かな」
「もやっとするわね。理由を教えなさいよ」
「僕は床でこんなに良いものを飲み食いしたくないからね。必要なんだよ。先生は」
 そう言ってクルピンスキーは残りのワインの殆どを自分のカップに継ぎ足した。
「あっ!」
「本当に先生が隠し持ってるワインは美味しいなぁ。僕も今度ハルトマンから送ってもらおうかな」
「ちょっと! それで最後だったのよ!」
「どうせまだ隠し持ってるんでしょ」
「あるわよっ! でもそういう問題じゃないでしょ!」
 語気を強めて立ち上がるロスマン。
 いつもの小競り合いが始まった。
「ああ、そうだ。先生はグリッリ・マッカラだ」
「だからどうしてよ!」
 グリッリ・マッカラ。フィンランドで酒のつまみと言えばソーセージ(マッカラ)だ。
 定番はグリル焼きのグリッリ・マッカラ。

「だって――」

ぶどうジュースにはなくてはならない存在だから――

「熱くて危なくて、ナイフとフォークがないと触れないからねっ」

「この偽伯爵」

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